診察のとき、自分のことを責めてしまう傾向がある人に「今すぐそれやめましょう!!」とお伝えしています。そして2019年4月の本コラムで紹介した「私は全然悪くないし、ダメじゃない!」という魔法の言葉を一日一万回唱えましょうと紹介しています。僕の診療スタイルを知らずに受診された方は、皆さん「エー!!」と一瞬引きます。でも、それを実行することで今より楽になると説明すると、素直な方は、次回の診察時には笑顔が見られたりします。
この世の仕組みを知る
「私はダメだ」「どうせ私なんて……」と自分を責めると、あっという間に元気がなくなってしまいます。なぜなら頭が〝深刻モード〟になるからです。自分を責める人は、真面目に、真剣に、自分の問題点を探して「どうにかしなくては!」と焦ります。でも今までもどうにもできなくて、毎回同じことを繰り返し、「ああ、こんな自分はダメだ!」と自分を責めています。そして、楽しいことをしたり、ふざけたりする余裕がなくなります。楽しんでいる人、ふざけている人を見るとイライラしてきます。自己否定で落ち込んで、他人を羨んでイライラして、と思考が暴走してネガティブスパイラルにおちいってしまいます。
自分のことを責めないようにするために、この世が本当はどんな仕組みで動いているか、知る必要があります。この世の真実の姿(実相)は、自分だけが悪いということは絶対になくて〝すべての人が少しずつ悪くて、すべての人がそれぞれ素晴らしい部分を持っている〟のです。
生きている限り、ご飯を食べています。命を頂いています。ご飯を食べたら排泄します。それを誰かが処理してくれています。赤ちゃんは、食べるのも排泄するのも完全に周りの人に依存しています。いってみれば、迷惑の塊です。誰もが、誰かに迷惑をかけて生きています。
自分のせいで悪いことが起きたというのも勘違いです。たとえば自分がコップを落として割った、という場合。誰がそこに置いたのか? 誰が買ってきたのか? 誰が売っていたのか? 誰が作ったコップなのか? コップの原料はどこから? たまたま自分が最後の割れた瞬間に居合わせただけなのです。コップが割れるまでにはさまざまな要因が、縦の糸と横の糸が織り合わさっている網目のように、張り巡らされています。
このことは、仏教では〝縁起〟ということばで表現されています。縁起がいいとか、悪いという縁起とは意味が違って「すべての現象は、無数の条件が相互に関係しあって存在できる。独立した存在というものはない」ということです。仏教の根本の教えの一つです。僕自身、この縁起というものを以前はとても難しいと思っていました。しかしある本を読んだことをきっかけに、実はものすごく簡単なことだと気づきました。縁起とは、意訳すると「すべてのことは起きるべきことが、起きるべくして起きている」ということだし、超訳すると「どうしょうもないから、はよぅあきらめなはれ(京都弁)」ということなのです。
自分も悪いところがあるけれど、人類みんな多かれ少なかれ、それぞれ悪いところがある。だったら自分の悪いところだけを取り上げて、そこを顕微鏡を覗くように拡大して、自己否定する必要はありません。自分を責めて、事態が改善するわけでもありません。どんなにあがいても、そうなるべくしてなっているのであれば、結果は絶対に変わりません。もう降参する(開き直る)しかないのです。
(ある本とは、金森 将 (著)『バタ足ノンデュアリティ―ノンデュアリティって、徹底、日常生活のことなんですよ!― 』(覚醒ブックス)です。読むと心が軽くなります。おすすめです)。(つづく)