健康なことだけが取り柄だった私にも転機がやってきました。昨年11月中旬、突然手の痺れと麻痺がはじまり、それは足にも及びました。徐々に麻痺は進行し、歩くこともままならずに新年を迎えました。最初は内科的なものと診断され、それならば自力で治せると確信し、この仕事ならではの情報と知識をもってあたりましたが、回復せず、医師に内科的なものとは思えないと相談、その結果頚椎の異常が疑われるとされました。アナログな私はデジタルなMRIという素晴らしい文明の力を借りることで、すぐに頚椎の異常が発見され、2月に半身不随を免れるための外科手術を受けました。
あらゆることは、当たり前のように存在しているのに、失いかけるとそのありがたさに気づくと言うことを我が身をもって体感するまたとない機会になりました。ただ、歩けること、ただキーボードが叩けることがどれだけ価値ある奇跡なのかという事実は、普通に生活していても気づくことはないでしょう。
他にも強く感じたことは、冷えがどれほど辛いかと言うことでした。私はいつも暑がっているタイプでしたが、今回のことでいくらカイロを入れても、何重にも靴下や手袋をしても、冷たく生気を感じないことの苦痛を知りました。そのこわばった足は、ちょっとした段差や手すりがないことですら、恐怖に変わるのです。
もう数十年前に同じ異常を起こしていたとすれば、私はそのまま半身不随の道を歩んだでしょう。このタイミングの奇跡と、私たちが肉体を帯びていると言うことの奇跡を同時に体験した数ヶ月を過ごしました。
環境も経済も今まで何も感じなかったことが失われつつあって、そろそろ強い痛みと不快感を発する時期と重なりました。社会に起きている様々な異常は、いったい私たちに何を意味しているのかという問いかけと向かい合う正念場でもあります。私が身をもって感じ得たことは、また偶然ではなさそうなのです。