毎年、夏になると化学物質のコマーシャルでテレビや新聞、雑誌はたいそう賑やかになります。防虫剤、殺虫剤、消臭剤、制汗剤、除草剤、体臭や菌を減らすボディーソープやシャンプー、白さを強調する合成洗剤・・・と枚挙にいとまはありません。何も考えることなく生きていると、これらはとても役立つモノに見えますし、湿っぽく暑苦しい夏を快適に生きるためには必要不可欠なモノに写るようです。ドラッグストアにいけば、こういった製品の棚は大賑わいで、強烈な原色のパッケージたちが、いまかいまかと消費者の手にとられるのを待ち望んでいるように感じられます。
さらにこの夏は不況が追い打ちをかけ、少しでも安価な食品を望む消費者嗜好を反映して、粗悪な食品がスーパーの棚で場所を拡大し続けています。そこには、あり得ないような安値の調味料から弁当まで、粗悪なものが、大きなプライスカードとともに並んでいるので、価格順で選ぶのに苦労はいりません。当然ながら、粗悪な商品には粗悪な素材、十二分な化学物質がたっぷりと盛られていて、確実に私たちを蝕んでくれます。知らないとは恐ろしいことで、体の外も中も、特段の配慮をすることなく生きていれば、確実に汚染されるのですから、この時代に不健康でいることはとても簡単なことです。
その一方で、私たちの提供するような、一般市販商品に対抗する安全な生活雑貨や食品も、不況と叫ばれながらも確実に売上が伸び続けています。零細で小規模な展開ながら、一度ほんとうのことに気づいてしまった人にはなくてはならないものになりつつあります。いつも通り、ホームページやチラシの紙面でコツコツ販売しているだけのことなのですが、心あるメディアの片隅で私たちの商品が取り上げられ、大手のスポンサーの反感を買わない程度の小さな枠で、ひっそりと取り上げられているだけで、電話が鳴り止まなくなります。これはいったい、何を意味しているのでしょうか。
普通の解釈をすれば、このような商品を選ぶ行動自体は、マニアックな一部の層が特殊な商品を愛好している小さなムーブメントと捉えられるのかもしれません。しかし、私はこれらの行動が「気づき」と「良心」、そして「愛」に立脚していることを注意深く観察しています。わざわざ何倍もの価格が設定された、無名の企業が販売する商品を、苦労して手にして使って頂く理由は、その3つの心の動きを説明しない限り、納得がいきません。
私たちは、この皆さんの3つの気持ちに応え続けていられる存在でありたいと思います。なぜならこの3つこそが、不況の時代の先を作り出すものだと信じているからです。