ご存じのように、3・11大震災以降の日本の混乱は、大半の事前想像を超える状態にあります。特に原発事故とそれにまつわる政府・自治体の混迷は、非常時において巨大組織はあまり役に立たないという実態を浮き彫りにしたといえるでしょう。これだけに限りません。以前のメールマガジンでも触れたように、日本赤十字社などの援助組織であっても、組織が巨大で「公平・平等」を意識するあまり、資金の分配も遅れがちとなっています。いずれの場合でも「大きいことは良いことだ」という前提が成り立たなくなっている事実にほかなりません。
さて、もう一度私たちが特に憂慮している原発の事故にフォーカスを戻します。これに関してもご存じの通り、国際機関、政府、自治体、反原発団体、大学教授、外国メディア、国内メディア、民間人などが入り乱れ、百花騒乱状態が続いています。ほんとうの「専門家」はお手上げ状態で、その「専門家」の定義自体が揺らいでいます。そのうえで放射性物質が降り注いだ地域の農業・漁業は壊滅的な状態で、そのレベルにもよりますが単に「風評被害」の一言で済まされるものではありません。正確かつ頻繁、さらに広範囲な測定環境が整い、正確な情報が逐一公開される環境になるまでは、何が風評で、何がほんとうに危険なのかを評価すること自体に無理があります。これも政府やマスコミ・自治体が「風評は許さない」「デマは取り締まる」といってみたところで、正確なデータも存在しない状態ではその線引きすらできないのです。
原発事故ではじめて「食や環境の問題」に気づかされた人にとっては、すべてのことは寝耳に水なのかもしれません。しかし、私たちのように根本的な問題提起をする企業、もしくは私たちのお客さまにとって、従前の食や環境の諸問題に対する国やマスコミ、巨大企業の姿勢が、今回もなんら異なっていないことを明確にしているに過ぎません。本稿の執筆現在、「生肉で食中毒が起き、死亡事故となった」というニュースでもちきりですが、これにしても免疫力が乏しい子どもや老人が、認知できない密室で調理した激安の肉を生で食べればどのようなことになり得るかは、常に考えておく必要があります。
オール電化についても同様です。原発は小刻みに制御できないから、深夜電力は安くなることなど、この世界にいる人なら誰でも知っていることです。しかし、「火災が起きない」「環境に優しい」「燃費が安くなる」「空気を汚さず健康によい」ということをことさらに強調した業者広告を盲目的に信じてしまうことによって、多くのものを失います。「食品の本来もっている力の低下」「火が見えないことで不注意によるやけどリスクの増大」二酸化炭素より怖い放射性物質を漏洩する可能性がある原発を推進」「簡単に制御できないから余る深夜電力に依存」「有害電磁波に無意識かつ大量に晒される」と書けば誰も買いません。原発事故が起きるまで、私はこのような主張を繰り返すたびに「ご家族の命が危ないからそのような発言はしないほうがいい」と警告を受けてきました。これが現実になったいま、例え国や巨大企業がその影響力を行使してなんといおうとも、安易に信じてはいけないのです。
この際、もう一つのことを明確にしましょう。今回の原発事故で、国や東京電力がなし得る唯一の生活に対する解決策は、放射性物質によって直接、または間接的に働けなくなった人に対して速やかに経済的に保障することです。もちろん、同時に汚染を早期に解消するための施策は必要になりますが、まずは経済的に被災された方をサポートしないと大変なことになります。これには「もれなくセットでついてくる」大問題があります。それは以前からこの欄で主張しているとおり、国の財政は以前の予想よりもずっと早期に破綻するであろう、という事実です。そうでなくても砂の城であった巨大な国家財政は、ますます早く崩れ去ります。その原資を東京電力が負担するにせよ、国が負担するにせよ、結局のところは私たち生活者の負担になります。これがカウントダウンのスイッチを押すこととよくよく理解した上でもなお、そのスイッチを押すしかないのです。年金も保険も預金も、今となっては共同幻想です。
あらゆることが他人事でなくなること・・・・・・それが今回の原発事故とそれにまつわる出来事がはっきりと明示した事実です。もともと自己責任であったことが、自己責任でなかったように見えたいままでが、おかしかったに過ぎません。たとえ他人の判断であったとしても、「民主主義国家」においてはすべての責任は最終的に全体が負うことになる。これが事実であって、いままでは幻想であったことをある意味平等に知ることになる時代がやってきました。つまり、より大きな無形のものに期待し批判するよりも、より小さな顔の見える助け合いを紡ぎ、そこに立脚して生きていくべき時代の到来なのです。