2月は節分の月。節分とは季節を分けることを意味しますから、24節気の立春、立夏、立秋、立冬の前日は、すべて節分といえます。しかし、旧暦では立春の前日を1年の始まりと考えたため、節分とはもっぱら立春の前日を指す言葉になりました。節分は大晦日であり、邪気を祓い新年の多幸を願います。明治以降、西洋暦が使われるようになってからは、太陽の動きと季節の変化を読み解き、自然という観点から眺めたときには、合理的な旧暦は、ほぼ私たちの生活からは切り離されてしまいました。
私は折々に旧暦の節気を眺め、「ああ、今はこういうタイミングで生きているんだ」と思い出すようにしています。本誌のテーマは、この旧暦に基づき設定していますので、今月は古きを捨て、新たに生きる月ともいえるでしょう。心の邪気=邪鬼は、私たちのなかにある平凡さや、溜め込みすぎ、そして安定を望みすぎる、または、欲深い気持ちでもあります。過去の成功に安住すること、過去の失敗を悔やむこともまた、節気に押し寄せる邪です。私たちは、体の隅々までを構成する細胞や微生物がそうであるように、日々新たに生きることを常に求められています。
評論者から、主体へ
プレマ株式会社は、前世紀末の2月11日の創業以来、世にある優れた品を選び出し、お届けすることで成り立ってきました。お客様にお届けする前に、必ず自問自答することは、「これは、自分の愛する人に食べて、または使ってもらいたいものか」という質問です。世の中の一部の仕事は妥協の産物であり、自分の家族にはとても食べさせられないけれど、仕事だから仕方なくやる、という向きもあります。これはある意味において男社会の置き土産。身内のためなら不正にも手を染めることにも繋がりかねません。私が販売しているものは例外なく家族にも食べさせたいものであり、使ってもらいたいものです。もちろん、人には好き嫌いがあります。私はきゅうりやメロンの味はどうしても好きになれませんので、たとえ農薬を全く使わずに愛情豊かに育てられたきゅうりやメロンであっても、私自身はいらないと言います。しかし、弊社が扱っている限り、愛する人には食べて、使って欲しいと思います。もう一つの重要な問いは、これらが生産されているコミュニティーにおいて、人を幸せにし、そして自然にも過剰な負荷をかけていないかを問います。人が生きている以上、負荷をゼロにすることはできませんが、少なくすることは可能です。人が不幸に陥る搾取にまみれていたり、環境にマイナスが大きすぎたりすることは、当然に私の心のふるいから落ちます。多量の農薬や化学肥料、危険度の高い添加物、遺伝子組み換えなどは、それ自体の個別の悪さというより、中長期的に人を幸せにしないので、一切関わりたくないと考えます。こんな夢物語のようなことを求めてきたわけですが、いずれも評論家のようであるという自覚はずいぶん前からありました。さまざまな状況は私を追い込み、2011年に農業生産をスタート、そして2017年の今年は、食品加工のスタートをすることになったのです。もう、評論家であることは許されず、主体となることを運命づけられていたのでしょう。『仕事とはお仕え事だから、誠心誠意取り組むように』とスタッフに話していた言葉は、今、最も私自身に向けられています。
やっと思い出す
そして、従前の仕事の合間に、食品製造の前段階としての試作を繰り返すなかで、私がほんとうは好きだったことを思い出しました。50歳を前にして真抜けたことをいうようですが、何がしたいのか、よくわからないところがありました。私が好きなことは、人が私に幸せそうな顔をしてくれることなのです。たとえ素晴らしい素材のものを作りだしたとしても、その人が難しい顔をしていたのでは、私の求めているものは得られません。理屈で説き伏せようとすればするほど、相手の顔は曇ります。おいしいを「頭で理解しろ」はあり得ないわけで(とはいえ、自然食の世界ではこれがよくあるのです)、原材料がどれだけ安全ですと主張しても、誰も幸せではないのです。ほんとうに大切なことは、そこに愛情を込め、情熱をかけること以外にはなく、もっと具体的にいえば、全ての素材と行程に関心の目を向け続けることです。心に念じることは、食べる人の幸せと健やかさであり、いくら儲かるかはあとの話に過ぎません。原材料よりもっと大切なものが一つだけあるとすれば、人の思いの力です。妥協のない関心が、新しい何かを創り出します。なぜ、このことを再発見したのか、本稿をきっかけに考え直しました。父を知らない私は、幼い頃、祖母と養母に育てられました。あるとき、私を育ててくれた母は、私を産んだ母に、恐ろしい剣幕で怒りをぶつけました。手には漬け物石がありました。彼女は出て行けと叫び、私は産みの母と家を出ました。程なくして私は家に帰り、養子となり、その後、小学校でいじめられます。もう誰にも関わりたくないという気持ちはこのときに芽生えましたが、いじめられる自分という立ち位置よりも、主体になることだけが私の周りを変えることだと気づいたのです。結局、そのときに「変えるべきは自分」ということをなんとなく理解していたのですが、社長と呼ばれるようになってからも、まだ変えるべき何かと葛藤していました。評論家から主体になること。たとえ酷評を向けられたとしても、それは言い訳のできない大切な機会なのです。願わくば、人の怒りといらだちを癒す何かを創りだしたい。そう祈って、この節分を迎えています。
プレマ株式会社 代表取締役
中川信男(なかがわ のぶお)
京都市生まれ。
文書で確認できる限り400年以上続く家系の長男。
20代は山や武道、インドや東南アジア諸国で修行。
3人の介護、5人の子育てを通じ東西の自然療法に親しむも、最新科学と医学の進化も否定せず、太古の叡智と近現代の知見、技術革新のバランスの取れた融合を目指す。
1999年プレマ事務所設立、現プレマ株式会社代表取締役。
保守的に見えて新しいもの好きな「ずぶずぶの京都人」。