行列でないときにジェラテリアにお越しになった方はご存じのとおり、私がジェラテリアにいたらとにかくよく話します。「やたら話しかけられる」という悪評も承知していますが、やめるつもりはありません。どこまでお話しするべきか、というのは確かに常に考えてはいるのですが、私は過去にしたことのある尊い一年半の経験が今の自分を作っているという自覚があるからなのです。
約20年前、プレマ株式会社を起業する前に、タクシーの運転手をしていたことがあります。インドから娘を連れて帰国した当時、バブル崩壊後のすごい不況でした。日本にいるうちに、万が一のときのためにと大型二種免許を取っていた私は、家族を養うためにタクシー会社の門戸を叩きました。今ではとても有名なMKタクシーと、京都の老舗ヤサカタクシーの2社に面接に行きましたが、前者は事故を起こしたときに大変なことになる、ということを知り内定をお断りして、ヤサカタクシーでお世話になりました。
タクシーの世界では、お客様をお乗せすることを「お供する」といいます。私はこの言葉の響きが大好きでした。密室で、誰か知らない運転手と命を供にするわけで、私は命をハンドルに乗せて走るのです。いろいろなことがあった1年半でしたが、私はいまでもときおり「たまの休みにはタクシーの運転をしたい」と思うくらい、この究極の責任と、知らないもの同士が相対する短い対話の時間が好きなのです(実は、プレマルシェ・ジェラテリアは御供町という地名です)。
タクシー運転手の差し障りのない会話は、お天気の話と野球の話といわれていて、中島みゆきの「タクシードライバー」という唄に唄われている通りです。入社時に「政治の話は絶対にするな」と言われ、そこは承知していましたし、せっかくのタクシーの時間にそれはお客様にとっても愉快でないだろうというのは推察しましたので、他の話題を常に考えていました(アメリカでタクシーに乗ると、思いっきり政治の話をされることがよくあるので、日本人の摩擦をさける感覚は研ぎ澄まされているのかもしれません)。
タクシーの一年半で、いろいろなリーダーや社長様方とお供する機会もありました。会社名はいえませんが、とても立派な会社のトップの皆様方でした。こういう方に「あなた、タクシー乗ってる場合じゃないよ、あなたは、いずれ何か大切なことをする人だから」と必ず言われました。640円のところ1000円を、15000円のところ30000円を、3時間の貸し切りでサントリーの山崎を運賃とは別にいただいたりと、お金も頂戴しましたが、何よりうれしかったのは、その言葉たちでした。
出会いは千万に一つ
ある人は病気を苦悩し、ある人は死を覚悟し、ある人は失恋の悲しみに暮れ、ある人は内緒の話をしました。ときに私を相手にストレスをぶちまける方もいました。とにかくあの空間は、いろいろなものが交錯する不思議な空間でした。必ず心がけていたことは、ワンメーターで絶対にイヤな顔をしない、ということでした。そうではないときも正直ありましたが、かなりがんばったつもりです。
「近くて申し訳ないのですが」と言われたら、
「とんでもないです!こうやって広い世界でご一緒することも千万に一つのことですから、心から喜んで!」
と申し上げると、こちらがお金をいただいているのに感謝をいただだきました。
そんなことを繰り返しているうちに、なぜか、私は人を励ましたいと思うようになったのです。ほんとうに出会いは千万に一つ、否、那由多、もしくは無量大数分の一のこと。この無限の時間と空間の広がりのなかで命を預け合うなんて、考えてみてください。人に最善を尽くしなさいということ以外に何があるのでしょうか。
残念ながら私は超能力者ではなく、記憶力もどちらかといえば悪く、ただのおじさんにすぎませんので、ハンドルに全神経を込め、背中にその人を感じようとしました。何も話して欲しくない方に話してしまったことがあるかもしれません。ジェラテリアでもそうなのだろうと思うのですが、せっかく来ていただいたのだから1000の言葉が何も引き起こさくても、たとえ1でもヒットすれば、もしかしたら何かの重荷を軽くできるかもしれないと、べらべらと軽口を叩きます。
今はそれだけではありません。お客様の食思考、習慣、健康上の問題、気をつけていることを理解することは最も大切なことですし、どこからお越しなのかによってフレーバーを選択し、または選択される傾向を頭にたたき込みます。そうやって少しずつジェラートやその提供の精度を高めつつ、微妙な味の補正やディッパーの右腕を破壊しないような硬さやサーブのための調整を試みています。
もう一つ、私は5人の子どもを育てているなかで、ほんとうに子どもが好きになりました。自分の子、人様の子、もう、私の中では境目がどんどん下がって、どんなお子様をみても可愛くて仕方ありません。ときにシャイな子、快活な子、チャレンジングな子、好奇心旺盛な子、目がきらきらする子……おじさんは、彼らにとってはもしかしたら憧れかもしれないアイスクリーム屋のおじさんなのです。
もしかすると将来、この店とこの味を思い出して、仮に私が亡くなったとしても、三条会の猪熊の角にきて「おれがな、子どものとき、ここのジェラート、おかんにつれてきてもらったんよ」と大切な彼女や奥さんにいうかもしれません。
そこにあるのは、単に味の思い出ではなく、素敵な大切な人との思い出です。大手チェーンには絶対できないこと。ただ、安全が安心がと叫び続けるだけでは叶わないこと。通販だけでは叶わないこと。そんなことを、ここで1000に一つができるかもしれないから、今日も私は話し続けています。