毎年1月は父を思い出します。2010年の大晦日の夜、父が倒れ、私は不安を抱えたまま、病院で新年を迎えました。そのとき父にははっきりとした意識はなく、意味不明なことばかり話していました。唯一わかったのが「愛子(母の名前)好きや~」でした。普段まったくそういった態度を見せないので、驚きもありましたが、突然のその言葉に緊張がふっと緩んだのを覚えています。
それから2週間、私は病室で父の身体に触れ続けました。私にできることはそれしかないと思ったからです。身体にそっと触れていると、投薬で緊張してしまった身体が緩んでくるのがわかります。
病室で気づいたこともありました。母や弟、他の親戚も、誰も父に触れようとしないのです。家族や親戚でも、死を目前にすると、どう接していいのかわからないということなのでしょう。ただ死ぬのを待っている、私にはそんな風に感じました。そんな家族に対して、イライラしながらも、父が回復することを信じていました。投薬のつらさからか、次第に父は私に「殺してくれ」と伝えてくるようになり、私は「それはできない」と、繰り返し伝えました。しかし、ある日、大きな間違いに気がついたのです。父は私に触れられるのが嬉しくて、逝くにも逝けなかったのです。私はなんてことをしてしまったのかと後悔しました。死ぬことも尊重されなければならない。と感じた瞬間、父に触れることをやめ、最期の挨拶をして、私は病院を離れました。その2日後に父は息を引き取りました。偶然にもお葬式の日は、母の誕生日でした。
父にはこの世に長居させてしまいましたが、私にとって父との最期の時間はとても濃厚なものになりました。父が亡くなる日の朝、まるで「応援している」と伝えるように、私の背中に父が手を当ててくれてるような感覚があったのを覚えています。
「死」は誰にでも訪れます。それをタブーにするのではなく、私は家族や大切な人と一緒に楽しく、そういった話ができる関係を築いていけたらと思います。あなたはどんな風に見送られたいですか?
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寺嶋 康浩(てらしま やすひろ)