奉祝 天皇陛下のご即位を
心よりお慶び申し上げます。
令和の時代に、美しきことが大切にされ、
日本と世界に真実の平和がありますように。
プレマ株式会社
いよいよ御代替わりの時を迎え、令和の時代が始まりました。人間至上主義のもと物質的な豊かさを求める価値観が限界を迎え、人工知能(AI)の急速な進化や生命操作技術の加速的な進展のなかで迎えた新しい時代。AIというと「私たちの多くの職業が失われる」という表面的な問題ばかりが注目されるなかで、ほんとうに大切なことはなにかということについて考えてみましょう。
プレマ株式会社は、約20年前の創業の当初から、データ至上主義に異議を唱えてきました。特に、健康にまつわる情報については必ず逆説があります。最近はやりの例でいえば、〝糖質は毒だから減らせば減らすほどよい〟 VS 〝低糖質食は心と身体のバランスを崩し不調をきたす〟というような話です。これに限らず、〝白米は肌を白くし、玄米は肌を真っ黒にする〟というような、とても合理的とはいえない見解も含め、どちらかに極端に偏ることで健康被害につながりかねない極論が大きな影響力をもちます。また、ちょっと体調が悪くなったらすぐ病院に行く人がいる一方で、病院に行けば病気にされると信じて絶対に行かない人もいて、お客様でもこれらの極論に振り回されている方や、私たちに「絶対にこれが正しい」と本や資料を送ってこられる方もいます。
よく考えてみれば、これがいい、あれはよくないという情報の類いは、単に体質次第ということが多く、体質というものは、人の顔がそれぞれ違うように個別に違い、日々状態が変化するので、これだけが正解でこれは間違いという絶対不変の原理はありません。しかし、誰かがなんらかの意図(=基本的にはお金と結びつく)をもっていろいろなデータをもとに情報を流し、それを受け手が断片的に信じてしまうと、その人にとって許せない出来事と、敵が増えるばかりになります。それなのに、国の定める各種の法律は、この断片的でしかない「科学的」な根拠や、「盲目的に信じられているに過ぎない」データが不足していると、その広告や販売を違法としたり、規制したりもします。
やはり、流れてくる情報には誰かにとって都合のいいなにかが埋め込まれていると考えるところからスタートしないと、私たちは適切な判断を下すことができず、もっといえば、私たちがロジカルであるだけではなく、五感を研ぎ澄まして対応していかないと、情報に振り回されて終わり、ということになりかねません。これからの時代は、どれだけ情報を持っているか、どれだけ知識があるかだけではなく、むしろその取捨選択の判断こそが大切になってくる時代ともいえ、今までおこなわれてきた一般的な学校教育のスタンスとは大きな乖離があります。私たちはよほど注意してかからないと、子どものころから慣れ親しんだ「正解は一つ」という無意識な思い込みに、人生の質を左右されてしまうかもしれません。
アルゴリズムから自由になる
AIの判断はアルゴリズムを軸にしています。機械学習はアルゴリズムによって表現され、ある種のパターンや法則を分析し、それを再現する道筋を明らかにします。アルゴリズムによって分解され、再構築可能な事柄は基本的に人間の手を離れることが可能で、AIの判断に任せることができるようになるのです。囲碁や将棋のような世界において人間がAIに負けることが頻発していますが、決まったルールに基づいて勝ち負けや正誤が判断される世界では、早晩、人間の勝ち目はなくなってきます。
私はジェラートのレシピを考え、またそれを作っているわけですが、このような行為もまた、たった一つの要素を除き、栄養学的に、またはおいしさという指標を定め、そのパラメータを分析さえすれば、私のやっていることはAIにもできる、ということになってしまいます。まだ、AI技術はその開発と学習の途上ですから、「そんな、身体によくて、おいしいお菓子がコンピュータやロボットにできっこない」と思われるかもしれませんが、こういうことは加速的に進化するものなので、決して油断できません。
では、私にしかできない、たった一つのことは何でしょうか。それは、シンプルにいえば「食べる人の幸せを願い、その人にとって(このジェラートという『心の薬』が)食べる人の重みを支え、心を軽くし、そうなるように念じ、また信じる力」だけ、なのです。言い換えましょう。それは、このジェラートが、私という存在を通じ、これを身体に入れようとする人に想いを寄せ、美しい出来事を引き起こすことを想像することです。決してAIや、アルゴリズムの積み重ねにはできないこと、人にしかできないことは、共感し、愛を届けること、その一点です。
枝葉末節に振り回されず、決して何者にも置き換えることができないこと。あなたにとって、それはなんでしょうか。それを考え続けることこそが、AIには決してできないことなのです。