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特集

インタビュー取材しました。

3・11から8年今、忘れないでいたいこと
偲いを紡ぐプロジェクト・∞
代表 小泉 ひとみ氏 インタビュー

投稿日:

3・11から8年。
毎年3月には震災関連の話題が増えますが、日常で意識する機会は少なくなっています。
しかし被災地、特に福島では、復興が進む半面簡単に解決できない問題を抱えています。
今回、弊社が被災地支援をおこなってきたなかで深い縁のある、偲いを紡ぐプロジェクト・∞ 代表の小泉ひとみさんにお話を伺いました。
小泉さんは福島県相馬市にて震災時から地元ボランティアとして活動をおこなっています。

偲いを紡ぐプロジェクト・∞ 代表
小泉 ひとみ (こいずみ ひとみ)

1965 年福島県相馬市生。2011 年3月 11 日、相馬市にて未曾有の災害である東日本大震災による地震、津波、福島第一原子力発電所の放射能の人災事故に遭遇。地元ボランティアとして、また学校教育の一環として、相馬市の子どもたちと今なおさまざまな形で関わっている。釈尾会主宰安井妙洋先生の元仏画を習い、2015 年、寺院に奉納。6 人の孫を持つおばあちゃんでもある。

街は復興してきたものの心の復興が置き去りに

――小泉さんとの出会いは、2011年4月に中川社長が支援活動で相馬市を訪れたところからでしたよね。

小泉 そう、あれは神社の縁でしたね。被災した人たちが集まっていた神社に、私はいつも行っていたわけではないんだけど、その日は偶然、片づけのために訪れていて。そうしたら急に支援物資を積んだバスが来て、中川社長が乗っていたんですよね。それがきっかけで、そこから8年、途切れることなく継続支援をしてもらって。他にない縁ですよね。どうしてここまで福島のことを想ってくれるんだろうと、不思議に思うくらい。

――3・11から8年経つなかで、どのような変化を感じていますか?

小泉 3・11直後より、8年経った今のほうが、考えることが深くなっています。ひとくくりに福島といっても、浜通り、中通り、会津といった地域ごとの違いもあります。ただ、全般的に建物など目に見える部分の復興は、被災した東北三県のなかでも福島が一番早く進んでいます。相馬市も同じです。
でも逆に、心の復興が取り残されているのを感じるようになりました。特に毎年3月11日が近くなると、眠れなくなったり、動悸がしたり、体が動かなかったり、そういう症状が出る人が多いんです。

――外から見ると復興しているように見えても、目に見えない部分、気づかれない部分があるんですね……。

小泉 このことは、ずっと福島にいたら気がつかなかったかもしれません。私は、岩手や宮城など他の被災地に行く機会があって、そこから福島に戻ってみると、同じ震災に遭っていても、心の復興というのが、全然違うんです。それを邪魔しているのは何かと考えたら、やっぱり福島第一原発だろうと。

――原発の事故は、街の復興だけでは終わらない問題で、どの地震とも違うところですよね。

小泉 福島第一原発の事故は、本当に未曽有の出来事でした。目に見えず、味もせず、匂いもしないから、避けようがない。確かなことが公表されず、どのような影響があるかもわからない。病気が増えているという情報も、わからない部分がある。そんななかで知っているお子さんが甲状腺の病気になって手術をしたりすると、余計不安になってしまう。でも、大きな声で言えない状況もあるんです。子どものいる方は特に不安が大きいと思います。
せめて、今後も生活していくために、なにが大丈夫でなにをしてはいけないのか、なんらかの指針があれば安心材料になるのに、そういう確かなものもない。この状況が心を不安定にしているのではないかと思っています。

――何らかの検査はあると思うのですが、検査はあっても、その結果が明らかにならないという感じですか?

小泉 検査はあっても、すべてが明らかになっているわけではないと思います。それに、自分の子どもが病気になったときに、親御さんはそれを言いたくない。好奇の目で見られたくないという思いがあります。

そもそも、事故当初から隠し事が多かったんですよね。正確な情報が公表されないから、風向きが良くない方向に多くの人が逃げてしまうということもありました。事故の影響は、地形や気候などにも影響されるので、単純な同心円では測れないところがあります。

2012年4月、支援活動をきっかけとして、相馬市で1200年の歴史をもつ鹿島神社に桜を奉納。福島に暮らす方々への心を込め、この言葉が添えられている

大人以上に急がれる子どもたちのケア

――先ほどもおっしゃっていましたが、子どもたちへの影響というのは、大人以上に不安があるところですよね。

小泉 福島第一原発の廃炉までに30年かかるといわれています。そして、同じ30年でも、私のように50歳を超えてからの30年と、1歳からの30年はまったく別物だと考えています。
3・11からの8年間、自分の子どもや孫、そして相馬、福島のたくさんの子どもたちと関わってきました。その子たちが大きくなったときに、いろいろな選択肢をもてるようにしたい。そのためにも、大人が作ってしまった負の財産は、自分たち大人が責任をもたなければならないと強く思うようになりました。

――原発のことは日本全体で考える必要のあることですし、地震も日本全国どこで起こるかわかりません。ただ、8年が経つなかで、震災を経験していない人や地域では、記憶が風化していることも否めません。そういう状況で、できることはなんだと思いますか?

小泉 8年の間に、東北以外にも日本各地で大きな地震がありました。そういったところへの支援も必要です。私たちも、他の地域で必要が生じれば、すぐに支援をすることを決めています。
地震や津波はいつどこで起こるかわかりません。3・11だって、絶対に起こらないといわれていたことが起こったんです。今は、どこに行っても、まっさきに非常口や避難経路を確認するようになりました。相馬で私の知っている人たちは、大人も子どももそういう力が自然と身についています。
ただ、私たち自身も忘れていることがあるんです。それに気づいたのが、一緒に復興支援に取り組む仲間2人と話していたときのことです。3・11の津波は第三波まであって、2人ともそれを見ていたはずなのに、第一波しか記憶がないんですね。一番怖い記憶を忘れてしまっているんです。

――確かに、心を守るために、意図せず記憶が欠落する、あるいは記憶が変わるということはありますよね。

小泉 そうなんです。怖いことを忘れて、良い記憶にリセットしようとする。でも、忘れてはいけないこともあります。だから、書き残す、記録を残すということが大切だと思います。私が当時のことを覚えていたのも、3・11当時、すべて記録をしていたからです。
ただ、そういった話をしていたときに、自分たち大人でさえ忘れたいくらいつらいことなのに、子どもたちはどうなんだろうという話になったんです。しかも、大人はこうやって言葉に出して気持ちを整理できるけれど、子どもはそれもできない。言葉を覚えたての子どもや、まだ言葉を話せないような年齢の子どもはなおさらです。
震災後、子どもに落ち着きがなくなるといった変化が増えているのですが、やはり震災での体験が影響しているはずです。突然の地震、そして津波がきて、慣れ親しんだ家から避難所での生活になる。冬の寒いなか、床にダンボールを敷いただけで、見知らぬ人もたくさんいる。嫌なこともあって、大人でもつらい状況でした。子どもだからこの状況がわからないということはなく、大人以上に怖い、不安な気持ちを抱いたはずです。そんな子どもたちの心をケアすることが、今、必要になっていると思います。

福島を語る意味伝えていきたいこと

――心の復興のために今なんとかしないと、というタイミングですよね。

小泉 そう思います。みんなと一緒に楽しいことを見つけていこうと思うのですが、そうできない面もあります。なぜなら、津波でたくさんの人が亡くなって、相馬でも500人近い方が犠牲になりました。ご家族を亡くして、まだ悲しみのなかにある人に、がんばれとも、楽しんでとも言えない。
震災後、沖縄の戦争体験者の方に、「沖縄の海と福島の海はつながっている」と言われたことがあります。沖縄では戦争でたくさんの方が亡くなって、悲しくつらい歴史がある。その言葉にできない想いを、歌に込めたそうです。それを聞いて、私たちも言葉にできない悲しい、つらい気持ちを笑うことで乗り越えようとしていると感じました。
私自身は震災以降、後悔しないように生きることをすごく意識しています。3・11の朝、喧嘩をして家を出たままになってしまったという話も聞きました。だから、朝は必ず「おはよう、今日もがんばろうね」と明るく過ごすことを大切にしています。

――実は私も同じこと意識しているのですが、3・11やさまざまな災害を見て無意識にそうなったのかもしれません。心の復興のために、被災地以外の地域ができることはないでしょうか。

小泉 福島第一原発の廃炉までの30年、私が関わっている人には30年あきらめないでお付き合いくださいと言っています。そのために、ほかの地域の方にも、福島が今どうなっているのか、その背景はなんなのか、知っていただくことが大切だと考えています。
子どもに伝えていくということも大切です。震災後に生まれた子どもたちは、3・11で何が起きたのかを知りません。昔の人は、石碑などを通じて、災害のことを伝えてくれていました。それはとても大切なことだと思います。

――出来事だけでなく、その背景も含めて伝えていきたいですね。たとえば、今使っている電気がどこからきているのかとか……情けないことですが、私自身、3・11が起こるまで深く考えたことがありませんでした。

小泉 そういう根幹の教育があると、福島から引っ越した子どもがいじめられるということも起こらないのかもしれません。特に原発から近いエリアだと、なぜいつまでもそんなところにいるのかと言う人もいるのですが、考えてみてほしいんです。仕事もあって、家もあって、家族もあって、ずっと築いてきた生活をいきなり置いて見知らぬところに行けますかと。原発の問題は、誰となにを議論しても並行線だと思います。でも唯一できるのが、今わかっていることを公表して、できないことをはっきりすることです。その場しのぎの対応をするくらいなら、国が土地を買い上げるほうが良い。そうでないと、30年後にさらに大きな問題になると思います。

――そうならないよう、3月11日だけのことではなく、常日頃から私たちが意識すること、伝えていくことが大切ですね。

小泉 その場に立ち、五感で感じないと出てこない言葉もあると思います。私が福島について語ることによって、言葉にできない想いを抱えている方々が、一人じゃないと、少しでも楽になってくれると良いなと思います。

3・11から間もない時期の支援活動の様子。この「プレマバス」に支援物資をつみこんで、代表の中川やスタッフが福島や被災地を走り回っていた

2012年6月、京都在住の方から寄付のあったシルバニアドールハウスを、相馬市役所 川原児童センターへ

2019年4月中旬、鹿島神社に奉納した桜の花が咲き始め、春の訪れが感じられる

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