コロナ禍において電磁波過敏の人が増加傾向にあるようです。敏感な人は健康被害を訴えて悩み、鈍感な人は気づかない。まるで繊細な人が一方的に損をしているかのような状況ですが、センシティブであるほうが、より俯瞰的に物事を見つめられる可能性もあるようです。弊社・寺嶋は、自らも電磁波過敏。一級電磁波測定士として、また、ボディワーカーとしての側面から、取捨選択の持論を語ります。
プレマ株式会社 プロモーションセクション
日本電磁波協会認定 一級電磁波測定士
ボディワーカー
寺嶋 康浩(てらしま やすひろ)
関西大学工学部卒。ディレクターとして企業の宣伝に携わる傍、クラニオセイクラルやポラリティセラピーなどのホリスティック療法を学ぶ。医療の限界を目の当たりにした父の死をきっかけに、ボディワーカーとして独立。身体から思考のクセや感情を解放していく手法をUnfolding Bodyworkとしてまとめ、個人セッションやボディワーカーの養成、ワークショップを開催している。趣味はコンシャスダンス。プレマ株式会社が配信するメルマガの編集長。
なくしてみることで初めて取捨選択ができる
――これまでの仕事の経歴について教えていただけますか?
寺嶋 プロモーションの会社で広告や販促物の制作をしてきました。住宅設備関連から、文具、化粧品まで内容は多岐に渡ります。ボディワークを学び始めたのは、自身のメンテナンスのため。当時は、背中が鉄板のように硬く、常に肩や首が凝っており、鍼灸院に行ってもすぐに元に戻るほどでした。
――工学部出身ということは、畑違いの仕事だと思いますが、どんなふうに取捨選択してこられましたか?
寺嶋 学生時代、和歌山に住んでおり、大学まで片道3時間かけて通学していました。その間、電車の中吊りを見ているうちに広告デザインに興味を持ったのがきっかけで、卒業後にデザインを学び宣伝の仕事に就いたのです。
私は「そもそも」から物事を考えるクリティカルシンキングの傾向にあるのですが、利便性重視の飽食の現代、そもそも取捨選択をするのが難しい環境にあると思います。衣食住すべてにおいて当たり前に物が存在する。そのなかで「自分にとって必要なものがなにか」を考えるのは難しい。私は片道3時間という不便のおかげで新たにデザインという道への関心が湧いたわけですが、なくしてみることで見えてくることがあります。たとえば、いま、コロナ禍において「通勤する」という常識が崩壊しつつあります。そもそも全員が会社に行く必要はあるのか。一度なくしてみることで、初めて自分に必要なものがわかると思うのです。
ボディワークを追求していくと、身体の感覚がどんどん繊細になっていくのがわかります。その過程で電磁波過敏になっていることに気づきました。身体が電気を溜め込んでしまうからしんどくなるんです。毎日、会社帰りに自宅の最寄駅の2つ手前で降りて、公園でアーシングしました。アーシングとは身体に溜まった電気を抜くことです。地表の電圧は0V、電気は電圧の高い場所から低い場所に流れるため、裸足で土を踏んだり背中をつけて寝転んだりすることで、次第に放電されます。寝るときには、布団にアーシングマットを敷くようになりました。
――セルフメンテナンスのために、あらたに電磁波過敏になってしまったというのもなんだか皮肉な気がします。
寺嶋 自ら健康被害を呼び込んだようで矛盾を感じますよね(笑)。でもボディワーカーの基本的な心構えは「身体はセンサーである」なんです。だから体感覚は繊細であれば、繊細であるほどいいといえます。
たとえば腰痛持ちの人がいるとしましょう。鍼灸や整体に通うことで一時的に解消することは可能ですよね。でも、私自身がそうでしたが、元の生活に戻ると、また同じように腰痛が始まります。ボディーワークでは、クライアントの心身、生命丸ごとと対話します。感情のパターンや考え方のクセに気づき、症状の根本的な原因を取り除けるようにサポートします。この作業を「身体教育」と呼びます。社会的責任のストレスが要因で腰痛に悩んでいるなら、まずは仕事や対人関係を見直すのです。ボディワーカーにとって必要な繊細さを求めた結果、電磁波過敏になってしまいましたが、それでよかったと思うこともあります。
原因を取り除くのか対策を考えて共に生きるか
――症状を伴う電磁波過敏もよしといえるのは、なぜでしょうか?
寺嶋 頭だけでなく身体全体で感じて取捨選択できる状態にあるからです。
なぜ電磁波に敏感な人とそうでない人がいるのか。人間には「ホメオスタシス(恒常性維持)」という適応能力があり、寒いと感じると体温を上げようとしたり、暑いと発汗して逆に下げようとしたりします。恒常性維持機能が優れているために、電磁波の影響にはいくつかの段階(時期)が存在し、それぞれ感じ方が異なるのです。初めて電磁波のストレスを受けたときを「警告期」、ストレスに対応している「マスキング期」、慢性的な症状となる「器官衰退期」。電磁波の症状にも3段階があり、ホメオスタシスが機能しているのは警告期からマスキング期です。この段階で、アーシングなど日々のケアをおこなえば、慢性的な電磁波過敏から免れることができます。
この世に電磁波が存在する以上、過敏であるほうがよいともいえます。敏感であるほうが、警告期からマスキング期にいるあいだに、アーシングを通して慢性的な電磁波過敏を避けることができるからです。鈍感なまま、いつしか電磁波過敏の器官衰退期に差し掛かってしまうほうが問題です。
私はアーシングを通して、意識的に警告期とマスキング期を行ったり来たりしています。そうすることで自身の体感覚を敏感に、繊細にしています。体感覚が繊細になると、自身に必要なものとそうでないものが、身体を通して、わかるようになるのです。
――そもそも電磁波とは、どのようなものか教えていただけますか?
寺嶋 電磁波とは、電場と磁場が合わさった波のこと。会社でも自宅でも、電化製品のコンセントを差すだけで電場は出ています。またスイッチを入れると、電場と磁場の両方が発生します。オフィスビルもマンションも、壁に電気の配線がありますから、部屋に電気機器がなくても、すでに相当な電磁波が発生しています。たとえば2階建ての住宅なら、約1kmの電線が張り巡らされているともいわれます。
人間の身体は電気と化学物質で動いています。健康診断でおなじみの心電図は、この微弱な生体電流を読み取った検査です。また身体に電気が流れれば、そこには磁場も発生します。これは中学2年生の理科で習う「右ねじの法則」に基づいた論理です。
この人間がもつ磁場が、電気機器の磁場と干渉しあうことで、健康被害が引き起こされると考えます。症状としては、めまい、吐き気、頭痛、不眠、日焼けのような炎症、呼吸器の乾き、目の炎症、筋肉痛などが挙げられます。
――電磁波過敏を解決するには、どのような手段があるのでしょう?
寺嶋 電場はアースで除去が可能です。アース端子のないコンセントは「エルマクリーン」を使えば、アースを取ることも可能です。磁場の影響から逃れるには、発生源から60cm以上、離れるしかありません。コンセントを差しているだけで電場は出ていますのでこまめに抜いてください。しかし、いかなる手を尽くしても、身体は電磁波を溜め込んでしまう。アーシングをすることで、電磁波とうまくつき合っていくしかないともいえます。
本当に必要な人や物事と協調するための取捨選択
寺嶋 身体を通して感じたいわゆる「体感覚」、そして、「体験」を通して、物事を捉え、考えてみることは非常に大切だと私は思います。
東日本大震災のあと、原発問題がありましたよね。一人暮らしをしていた当時、「そもそも電気って必要なのだろうか」と考えて、洗濯機以外のすべての家電を捨てて生活してみたことがあります。冷蔵庫がなくても、近くにスーパーマーケットやコンビニエンスストアがあれば、意外になんとかなるものです。野菜は干していましたので、雨が降ると慌てて家に戻ったこともあります(笑)。そのときに、お米を鍋で炊くと美味しいということも実感しました。人が生きていくうえで本当に必要なのはなにかを知りたくて、水道も電気も引いていない標高2500メートルの山小屋で2ヶ月半住み込みで働いてみたこともありましたが、そのとき、水の大切さを思い知りました。
ほかにも携帯電話を持つのをやめてみたり、肉を食べるのをやめたりしたこともあります。それらの経験から、自分の生き方を見つめなおすうえで、頭で考えるよりも、全身で感じたうえで選択することが大切だと痛感しています。携帯電話は社会的な理由で持たざるを得ないと感じました。
電化製品ひとつとっても、生まれたときからあるもので、当たり前に恩恵を授かっている。自分で選んで使っているというより、なんとなく各家庭にあるものだという認識で、本当に必要かどうかを考えてみたことすらない方が多いのではないでしょうか。
私のやり方は少し極端かもしれませんが、「そもそもこれって必要?」とまず疑ってみること。そこから改めて全身で感じて、自分に必要かどうかを再確認するのは重要なことです。
家電については、結局、冷蔵庫と洗濯機は必要だと感じました(笑)。しかし、電子レンジと炊飯器はそれから一度も使っていません。必要な理由を見つけて選びなおし、自分の日常を最適化することができました。
――家電をすべてなくすことはできなかった。これもある意味、ホメオスタシスといえるでしょうか?
寺嶋 なるほど、そうかもしれませんね。私が自らの経験を通して痛感したのは、なにかを完全に排除することの難しさでもあると思います。電磁波ひとつとっても、その影響から逃れ切ることはできません。シャットアウトするには、いまの便利な生活を手放すしかないのです。
なにかを排除しようとして生きることは、いつしか自分が排除される可能性もあるということ。多様性を認め、異なる価値観のなかで生きていくには、鈍感より敏感であるほうが楽しいと思うんです。頭だけでなく全身、身体の細胞まで使って、感じる。そのうえで、考える。そうやって自分の生き方を見つければいいと思うのです。
もちろん電磁波に過敏であることは辛いときもあります。でも大変なりにも工夫を重ねれば、生きる知恵にもなり得ます。それは衣食住や人間関係にもいえることだと思います。安易に排除するのではなく、なるべく多くの可能性から取捨選択することで、きっと人生は、よりその人らしく彩られるのではないでしょうか。