「コロナとの戦い」。妙に威勢のよいかけ声は主に政治や行政の世界からメディアを通じて降ってくる言葉ですが、私には最初から強い違和感がありました。人をもっともやってはならないことに向かって動機づけるには「してはならない」と命令することであり、「戦うぞ」と宣戦布告すれば、敵と見なされた存在はどのような手段をもってしても負けずと突進して向かってくるような気分になります。
一方で「自粛してください」、から始まった分断と相互監視の風潮。宅配便のドライバーがお客様の玄関を開けたことについて、私たちのお客様サポートに送られてくるクレームのメールを読むたびに、私の心はコロナ以上の恐れを感じ、冷え切っていました。私たちは見えない敵と戦っているのだから、というメディアから繰り返される洗脳があるので仕方がない部分はあるのですが、とはいえ私たちの生活を必死に支えようとしている現場の皆さんに冷ややかな視線が、私たちの事業の周りで発せられていることに、もっていきどころのない悲しみすら感じました。
いきなりの愚痴の告白で余計に読者の皆さまを滅入らせてしまったかもしれませんが、ここで提起したいのは、世の中に蔓延するムードや常識となってしまった言葉ですら、それは誰かの利害のために作られたものかもしれないと、もう一度疑ってみる習慣の大切さです。ほんとうに今年3月を基点に、私たちはコロナウイルスと全面戦争をする必要があったのでしょうか。最近になって、今度はコロナとの共存とかアフターコロナという言葉までもが現れ、まるで停戦協定や戦後のような文脈で語られ、どこから切っても、諸悪や仮想敵との生死を争うような勇ましい言葉の使い方しかないなかで、私たちの脳はそのように反応してしまい、不要なストレスまで抱え込んでしまっているように感じます。
そもそも、以前からメルマガなどでご説明してきたとおり、感染症は今世紀に入ってからも繰り返し現れては消えており、なぜ消えてしまったのかに明確な答えがない事例もあります。こう考えた場合、うまくやり過ごすことについて真剣に考える段階に入っているともいえ、いままで雑多に、または一方的に入ってきた情報について整理し、外出や行動の是非についても個々人のレベルで最適化していく必要があるように思います。一般人の生活において強力な薬剤による頻回の殺菌の是非、マスクやフェイスガードの有用性、人との距離の取り方や、むしろ距離ではないのかもしれないということまで含め、これは戦争だ、非常事態だ、外出禁止だと主張してきたところから距離をおいて、考えなおすいい機会でもあります。今、社会全体の流れが強力な指導や極度の恐怖の段階にないからこそ、私たちが経験したこれまでの数ヶ月に社会のムードを作りだしたのは一体なんだったのかということもまた冷静に考えなおせるチャンスなのです。
私の個人的な見解で申し上げれば、極度に陰謀論に傾いた新通信規格5Gとコロナ蔓延の関係性や、生物兵器論、周りについて回る人工地震論も含め、それぞれは一理あっても、全体として見たときには論理や因果関係に飛躍があり具体的な証拠も乏しく、これら情報の発信者にはかなり扇情的なやり方が見え隠れします。一方で医療現場には患者が溢れていないとか、自分の免疫力さえ高ければ日常生活はなにも変えなくてよいという逆の極論もまた、疲弊する医療や介護の現場の実状を見てきた者として軽々しくは主張できないとの思いもあります。最も大切に考えるべきは「仮にリスクがあるとしても、私は誰とどうしても関わりたいのか?」「私にとってどうしても譲れない大切な価値はなにか?」「最も極限の状況において、私はなにを残したいか?」とそれぞれが考えなおし、それに日常の行動をマッチさせていくことが求められている、これがウイルスのもたらした再考と取捨選択の機会であると考えています。
平和な日本の生活において、人の命が危機にさらされる現実をまざまざと実感することはさほど多くありません。1日にガンと診断される人は約3000人。みずから命を絶つ人は約30人。なんらかの事情でこの世を去る人は約4000人。あらゆることがリスクであり、また機会でもあることを考えれば、恐れおののく一方で、そこから学びを得ようとする姿勢を忘れず、この時期を冷静に、また有意義に過ごしていきたいものです。
プレマ基金では、10000食のナチュラル・ジェラートを医療従事者に届けるプロジェクトを実施中です。まさに私たちの日常では多くの場合、人生で数回しか経験しない生命の危機にまっすぐ向かい合う最前線の皆さんを応援したいと願っています。
プロジェクトについては 「10000食のジェラート」で検索して、ご賛同いただけましたらご支援をお願いいたします。