落ちこぼれの「忘れ物クイーン」
私は宿題ができなかった。勉強が嫌いで、家に帰ってまで勉強をしなければいけない理由がわからなかった。音読の宿題は保護者のサイン欄に父の字をマネして自分で書いた。長期休み中の宿題を家族旅行先のホテルで父と一緒に泣きながら終わらせた記憶もある。当時はあまり自覚がなかったが、クラスのなかで相当な「問題児」だったと思う。教室の正面の大きな黒板の下には長細い黒板が2枚あって、宿題を忘れた児童と、その日必要な持ち物を忘れた児童の名前がそれぞれに書かれていた。毎日のように宿題をしていない私は、もちろん毎日のように黒板に名前が書かれていた。またその隣の忘れ物の黒板にも頻繁に名前が書かれていた。そんなこんなでついたあだ名は「忘れ物クイーン」だ。
小学3年生の二学期末の個人面談で、当時の担任の先生と父が、こんな話をしたらしい。
担任「お子さんが宿題をしません。親なら、ちゃんとやらせてください」
父「はい、申し訳ありません。なんとかして、やらせるようにします」
父はそう言いながら、「忘れ物クイーン」の勲章、黒板にいくつも書かれた私の名前を見た。それで、私を転校させようと決めたそうだ。
それから1カ月もしないうちに、当時幼稚園の年長だった弟と「かつやま子どもの村小中学校」の体験入学に行った。その年は豪雪の年で、学校へ続く道の両脇には、5、6メートルほどの雪の壁があった。3日間の体験入学はあっという間に終わり、私も弟もすっかりかつやまが好きになり、4月からの転校を決めた。
「落ちこぼれ」をつくらない
もとの学校で「宿題ができなくて、忘れ物が多い児童」というレッテルを貼られた私は、とても自己肯定感が低く、勉強に対して意欲もなかった。「どうせやってもわからない」「1日宿題をやったところで自分が忘れ物クイーンであることは変わらない」。そんなふうに思っていた。漢字の小テストでは0点も取った。そんな私のいいところをかつやまの大人たちはたくさん見つけてくれた。
「掃除が丁寧だね」「集中して取り組んでいるね」「働き者だね」など、自分では当たり前だと思っていた私の性格や行動を、たくさんほめてくれた。そんな環境にいたことで、いろいろな委員会に入ったり、調べものをたくさんしたり、プロジェクトの活動に張り切って取り組んだりするようになった。気がつくと、新しく学ぶ時間を楽しいと思えるようになった。昨日できなかったことができるようになることがうれしくなった。あのとき、「勉強をちゃんとさせてください」と言われた父が、教師に従って私に勉強を強要していたら、私はいつまでたっても自己肯定感が低く、嫌なことから逃げ続ける落ちこぼれだったと思う。
かつやま卒業後に父から聞いた話では、私たちを転校させたのは賭けだったらしい。机に向かって勉強する時間がほとんどなく、宿題がなく、テストもない。そんな学校で本当に子どもが成長できるのか、確信はなかったようだ。その賭けがあったから、今の私は少しだけ自分に自信を持てるようになった。
自分の経験を通して、教員として子どもたちと関わるなかで、気をつけていることがある。子どもたちの苦手な分野ではなく、得意な分野に目を向けることだ。完璧な人間なんていない。人には得意不得意があり、できないことだってたくさんある。自信がなかった私のよいところをたくさん見つけてくれたかつやまの大人たちのように、それぞれの子どもができること、得意なことに目を向け、そこを認める。そうやって子どもたちが自信をつけることで、苦手だったことが克服できるのではないかと思う。
かつやまの大人たちは、私が教員になった今でも、たくさんほめてくれる。こんなに素晴らしい環境で、子どもとして、社会人として学び、成長できていることが私の宝物だ。