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自由教育ありのまま

「日本でいちばん楽しい学校」で新任教師がみた子どもたち

学校法人きのくに子どもの村学園かつやま子どもの村小中学校教員

中川 愛 (なかがわ あい)

かつやま子どもの村小中学校、きのくに国際高等専修学校を経て、立命館大学文学部卒業。高校生時代に東ティモールという国と出会い、残酷な歴史を背負いながらも、笑顔が絶えない東ティモールが大好きになる。「東ティモールのことを少しでも多くの人に伝える」ことを目標に、2019年度4月から、母校であるかつやま子どもの村で教員として働いている。父は、プレマ株式会社代表取締役の中川信男。

ミーティングと私

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私の働いているきのくに子どもの村学園は、和歌山県からはじまった寮のある私立学校で、「自己決定」「個性化」「体験学習」の3つの原則をもとにカリキュラムが組まれている。3つの原則が重なり合う「プロジェクト」が、時間割のなかで大きな割合を占める。またプロジェクトと同様に大切にされているのが、「自由選択」と「ミーティング」の時間である。ミーティングは週に1度、大人と子ども全員が集まっておこなわれる全校ミーティングだけではない。全寮ミーティング、プロジェクトごとのミーティングなど、学校に関わることはすべて話し合いで決まる。運動会や卒業を祝う会、パーティーなどの行事や、学園のルールなどさまざまな議題が挙がる。

ミーティングとの出会い

私が母校であるかつやま子どもの村小学校に転入したのは、小学4年生の4月だ。最初の1年はミーティングに参加はしていても、できることなら目立ちたくなかったし、手を挙げて発言するなんて考えられなかった。そのころはよく大人の膝の上に座って、参加していた。安心できる場所を探していたのだと思う。

クラスで初めて議長をしたときのことはいまでも覚えている。その日のプロジェクトでの活動を決めているとき、多数決で人数を数え間違えてしまった。そのままその日の活動は人数の少ない活動に決まってしまい、まわりの子にとがめられるのではないかと、そのあとも落ち着かなかったのを覚えている。

そのころは参加していても、あまりすることがなかったので、いろいろな人の様子を観察していた。たとえば、大人が発言する前の癖を見つけるのがおもしろい遊びのひとつだった。しかし、いつまでもそのままではいられないので、あるとき、勇気を振り絞って全校ミーティングで発言をした。話している間はずっと心臓がドキドキしていた。しかし、一度発言してみると、そのあとは大勢の人の前で話すのが徐々に楽しくなった。それからは、大人の膝に座らなくなり、人の話を聞いて、自分の意見も考えるようになった。中学生になって議長や書記をしたり、進め方を考えたりする委員会に入った。発言できるようになると、学校のルールや行事に自分の考えが反映されるので、それまでの学校生活とは充実感が大きく変わった。高校生になると、さらに深く考えるようになった。多数決で決まってしまいがちな話し合いに疑問を持ち、ときには友達と理想のミーティングについて語り合った。

意見を交換することの難しさ

子どもの村を卒業し、進学した大学でも議論する講義があった。私にとって話し合いは日常生活の一部だったので、抵抗はなかった。しかし、そういうときのまわりの学生の態度はひどいものだった。面倒くさそうな人、一言もしゃべらない人、参加しているのかすら怪しいやる気のない人、そんな人たちがほとんどだった。参加者がこのような状態では、議論が積み重なっていかない。ひとりがテーマに対する意見を言う、さらに次の人が別の意見を言う、その繰り返しだった。グループ全員が意見を言うと、時間が余っていてもそれで終了で、それぞれに寝たり、絵を描いたりして残りの時間を過ごす。誰かの意見に積み重なる発言はほとんど出なかった。そのため、議長の仕事はとても簡単だった。「まずAさんどうぞ、次Bさんお願いします」。このように、次に意見を言う人を指名するだけだ。子どもの村の卒業生は当たり前のように慣れている話し合いでも、他の人たちにとっては初めての経験なのだと、大学生になって実感した。

社会人となって、子どもの村の「大人」として働くようになって、久しぶりにミーティングについて考えるようになった。大人の立場からみるとミーティングはさらに奥深く、学びが多い。

- 自由教育ありのまま - 2021年7月発刊 vol.166

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