私の勤めるきのくに子どもの村学園では、開校当時から進路指導はしないと決まっている。そして、それは現在でも貫かれている大切な方針のひとつだ。
多くの学校では偏差値を割り出し、それをもとに合格できそうな進学先を選んでいくだろう。しかし子どもの村にはテストがないため、そもそも偏差値は存在しない。その先の人生でしたいこと、学びたいことを子どもが自分でよく考えて、進学先を決める。結果として、その子が合格の難しそうな学校を選んだとしても、あえて止めない。子どもが卒業した先の人生についてよく考えて自分で進路を決めるのは、とても大切な機会だからだ。数え切れないほどの可能性から考え、選択するのは難しいし、とても苦しい。しかし、どんなに苦しくても自分で決めることが大切なのだ。保護者のなかには、子どもたちの将来を心配して、「少しだけでも指導をしてほしい」との声もあるようだ。ただ、これは「少しだけ」と妥協してよい問題ではない。少しの変更から大きな変化に繋がってしまう可能性もあるからだ。
かつやま子どもの村中学校では3年生になると、校長から全員に、ある話がなされる。私が在学していたときも、「進路の話があるから集まってほしい」と言われ、ドキドキしながら集まったのを覚えている。「3年生になったら進路を考えなければいけないよね。普通の学校では偏差値があって、それを参考に先生がこの学校に行った方がいいよ、とアドバイスをする。でも、かつやまには一般的な進路指導はないんだよ。だからみんな自分でよく考えてね。相談にはいつでも乗るからね。」というような内容だったと思う。
急にそんな話をされたので、すごく驚いた。そう言われても、急に自分の人生について考えられなかったので、何も考えずに過ごしていた。父から高校留学を勧められていたので、深く考えずに、そうなるだろうと思っていた。秋休みに合わせて、留学先に考えていたイタリアへ父と2人で「下見」という名の旅行へ。はじめて訪れたイタリアはすごく魅力的な場所で、とても楽しかった。旅の終わりに2人で改めて進路の話をした。「イタリアは素敵な場所だけど、高校留学でなくてもいい」と、私も父も思っていた。その後はとんとん拍子で、きのくに国際高等専修学校への進学を決めた。
高等専修学校を卒業する前にも、日本文学と国際関係学のどちらの学部に進むかとても悩んだ。大学を決めるとなると、その先の人生が大きく決まってしまうのではないか、という不安で押し潰されそうな日々が続いた。自由に決めるのは苦しくて、難しいことだと学んだ時期だった。
自分で切り開く未来
日本文学を学ぶと決めて進学した大学では、まわりの学生とのギャップを感じた。国公立の滑り止めとして入学した子もいて、授業にやる気のない子が多かった。楽に単位の取れる授業が人気だった。「入りたくて入ったわけじゃない」と自分の人生をまわりの人間や環境のせいにする人が多かった。将来の夢について話しても、「仕事とプライベートをきっちり分けたいから公務員になりたい」とか、「考えてない」という返事が多かった。子どもの村にいたときは、日常会話で将来の夢について語り合う機会も多かったため、とにかく驚いたのだ。
子どもの村の卒業生は自分で進路を決めるので、自分の人生を人のせいにはできない。だからこそ、選択を間違ったとしても、いい方向に変えていこうと考えられる。そして、自由に決められるからこそ、幅広い分野に進んでいく。卒業後に仲間と久しぶりに会って、互いの近況を語り合うと、いろいろな話が聞けてとてもおもしろいし、自分の考えが大きく変わるような話もできる。今の状況では自由に会うのは難しいが、次に仲間たちと語り合える時間を楽しみにしている。