弊社オリジナルのプレマシャンティシリーズ、その佃煮を製造しているのが、百年以上の歴史をもつ江戸前の佃煮屋、遠忠食品株式会社です。三代目の宮島一晃さんは、その伝統を受け継ぎながら、国産素材の活用や化学調味料・合成添加物不使用、店舗「遠忠商店」の運営など、新たな展開をしています。また宮島さんは、東京産の食品を紹介、企画する「メイドイン東京の会」の会長も務めます。そんな宮島さんの多様な活動や、そこにある想いについて伺いました。
東京は日本橋・蛎殻町にある遠忠食品の店舗「遠忠商店」前にて。
すぐ近くに安産祈願で有名な神社・水天宮があり、「江戸」の雰囲気が感じられる
遠忠食品は大正二年創業、江戸前の佃煮屋です。初代が遠州地方出身の忠吉といって、それが社名の由来になっています。業務用の卸売がメインですが、10年前からオーガニック食品やエコ雑貨を扱う店舗も営業しています。最初はわからないことばかりで、5年ほどは赤字でした。それでも今は、リピーターのお客さまが多くいらしゃって、新しいお客さまも少しずつ増えています。特に、子ども連れの方が多いのは嬉しいですね。店舗を始めたきっかけが、既存の販路や客層に佃煮を売るだけでは10年後には売れなくなっているのではないかと考えたことです。店舗は新しいやり方のひとつでした。
佃煮作りは製造を効率化できる蒸気釜を使うことが多いですが、うちでは伝統的な直火釜と職人の手による製法を続けています。また30年ほど前から、国産原料の使用や、化学調味料・合成添加物不使用ということを重視しています。きっかけは生協さんから、カラメルを使わない海苔の佃煮を作れないかと相談されたことです。最初、職人は自分が作ってきたものが一番おいしいという想いがあるので、調味料を変えるのを嫌がりました。それに当時、そういった商品にそんなに需要があるとは思わなかったんです。ところがすごく売れた。それで職人も納得してくれました。それから同じような相談が多くなり、化学調味料・合成添加物を使わないというのがスタンダードになりました。
この会社に僕が入ったのが24歳のときで、約40年間やってきましたが、実は、最初は佃煮屋を継ぐのが嫌だったんです。でも長男で、家族から言い聞かされて、やらざるを得なかった。そんな始まりでしたが、三代目として会社に入り、いろいろな人と出会うなかで、楽しさを感じるようになりました。それに、主原料に国産原料を使い、直火釜で、化学調味料・合成添加物を使わないという、ここまでやっている佃煮屋はほかにないですし、これからまだまだ伸びる可能性があると思っています。今年4月には息子が会社に入り、四代目を継ぐことになっていますので、また新しい試みができるのではないかと思います。息子には継げとは一切言っていませんでしたし、息子も別業界の会社に就職していたのですが、ある日、「おじいちゃんとお父さんがやってきた商売を俺がやらないと終わってしまう。俺がやる」と言い出して。現場を5~6年経験してもらったら、好きなようにやってもらうつもりです。
最近僕が力を入れているのが、東京で食品に携わる仲間と作った「メイドイン東京の会」の活動です。東京にも独自の食文化や、歴史ある食品関連の会社があるのですが、認知度が低く、食糧自給率も低いのが現状です。土地や人材にかかるコストが上がるなか、廃業する老舗も出てきています。その状況を変えるためにも、この会で、東京産の食品の紹介や、東京産の原料を活用した商品開発を企画しています。こういった活動から、新しい接点がまたできます。先日は、全国の海苔を食べ比べ、千葉の海苔漁師に講演をしてもらう、海苔の勉強会をしました。
江戸前の佃煮に使う海苔の主要な産地のひとつが、東京湾です。その関係で、海の再生に取り組む人たちともつながりがあります。海の環境については、排水や海水温の上昇などいくつかの問題がありますが、なかでも問題なのが、干潟という大きな浄化作用のある場所をなくしたことです。東京湾は江戸時代に比べ、90%ほどの干潟を埋め立てたといわれています。再生活動もされていますが、時間がかかります。江戸前の佃煮屋として、次世代のことを考え、東京湾、東京産の原料を大切にしていきたいです。そのひとつの活動として、お台場の小学校で毎年海苔作りの授業をやっていて、今年で13回目になります。
また最近活発なのが、全国の海苔漁師の海苔を買って、それを佃煮にして送り返す取り組みです。海苔漁師たちはそれを地元の道の駅などで売るのですが、結構売れるそうで、お互いに嬉しい、良い仕組みだと思います。近年、六次産業化が推進されていますが、餅は餅屋で、生産者とメーカー、ノウハウをもっている同士が協力して分担するほうがうまくいくはずです。
それから、原料はあっても工場がない、工場に頼むにはそれなりの生産量が必要で難しいという話もよく聞くので、そういう人たちに工場を貸して、自分たちで製品を作ってもらうようなことができたらおもしろいなと思っています。うちは埼玉の越谷に工場があって、設備に合うものであれば積極的に活用していきたいと思っています。メイドイン東京の製品が増えて、どんどん売れるようになってほしい。東京五輪に向けて盛り上がっている今ですが、2020年の後にもちゃんとものが流れる形を作っていきたいです。