近年、地方議会の議員が議会から懲罰を受ける事例が散見されます。たとえば、約3年前、熊本市議会において、のど飴を口に含んだまま演題に立った議員が、議会から出席停止の懲罰を受けました。これ以外にも、しばしば少数派議員に対する濫用的懲罰がなされていることが指摘されています。
ところで、私たち市民が行政上の処分を受けた場合、裁判所において、その処分の取消しを求めることができますが、地方議会から懲罰を受けた議員は、その懲罰の内容に不服がある場合に、裁判所を通じてその是非を問うことができるのでしょうか?
司法権とその限界
この問題を考える前提として、司法権について踏まえる必要があります。
司法権とは「具体的な争訟について、法を適用・宣言することで解決する国家作用である」などと言われ、憲法は、「すべて司法権は、最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する」(76条1項)と定めています。そうすると法を適用することで解決できる紛争については、すべて裁判所の司法審査が及ぶことになりそうです。
しかし、これにはいくつかの例外が存在します。たとえば、国会議員の資格についての裁判は、裁判所ではなく、その議員が所属する議院(衆議院または参議院)がおこなうこと、とされています(憲法55条)。また宗教団体の関係する紛争においては、金銭請求のような法的紛争の形式がとられていても、その前提問題として宗教上の教義の解釈が必要になる場合があります。このような場合には、法令の適用によって解決できる問題とはいえないことから、司法審査は及びません。これ以外にも、大学や政党など、自律権が尊重されるべき団体における紛争については、司法審査が及ばない場合があります。
地方議会と司法審査
では、地方議会での懲罰には、司法審査が及ぶのでしょうか。古い最高裁判所の判例では、自律的な法規範をもつ社会や団体における内部規律の問題は、当該団体の自治的な措置に任せるべき、としています。そのうえで、議員に対する出席停止の懲罰には司法審査が及ばないが、議員に対する除名の懲罰は、単なる内部規律の問題とは言えないため、司法審査が及ぶと判断しました(最高裁判所昭和35年10月19日判決)。
このように、自律的な法規範を有する社会や団体の存在を認め、その内部事項について司法審査が及ばないとする法理論を、「部分社会の法理」と言います。昭和35年判決は、この法理を採用したといわれています。
ところが、昨年、最高裁判所において、上記の昭和35年判決の判例を変更する画期的な判決が出されました。最高裁判所は、地方議会の自律的な権能を認める一方で、議員が憲法上の住民自治の原則を具現化するために活動する責務を負うことや、議会への出席が停止された場合には、議事に参与して議決に加わるといった議員の中核的活動ができなくなり、住民の負託を受けた議員としての責務を十分果たせなくなることを指摘しました。そして出席停止の懲罰については、議会の自律的解決に委ねられるべきではないとし、司法審査が及ぶと結論づけたのです(最高裁判所令和2年11月25日判決)。令和2年判決は、昭和35年判決の結論を変更しただけではなく、その理由づけにおいて部分社会の法理に依拠しなかった点も重要です。
令和2年判決は、出席停止よりも軽微な戒告、陳謝といった懲罰と司法審査の関係については言及していないため、この点は今後の議論と事例の蓄積に委ねられますが、いずれにせよ、令和2年判決により、議会による濫用的な懲罰はある程度抑止されることになるでしょう。