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自由教育ありのまま

「日本でいちばん楽しい学校」で新任教師がみた子どもたち

学校法人きのくに子どもの村学園かつやま子どもの村小中学校教員

中川 愛 (なかがわ あい)

かつやま子どもの村小中学校、きのくに国際高等専修学校を経て、立命館大学文学部卒業。高校生時代に東ティモールという国と出会い、残酷な歴史を背負いながらも、笑顔が絶えない東ティモールが大好きになる。「東ティモールのことを少しでも多くの人に伝える」ことを目標に、2019年度4月から、母校であるかつやま子どもの村で教員として働いている。父は、プレマ株式会社代表取締役の中川信男。

よく食べる自由学校の子ども

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私の勤めているかつやま子どもの村小学校の食事はビュッフェ形式だ。用意されたおかずの中から、好きな物を選んで自分でとる。1人あたりの個数は決まっているが、ある一定の時間を過ぎると、おかわりも自由にできる。

私が公立の小学校に通っていた頃には、給食中に嫌な思いをしている子をたくさん見た。食べられないものがあると、食器を下げさせてもらえないが、まわりの子は机と食器を片付け、教室では掃除が始まってしまう。その後の休み時間も教室に残ってひとりで苦手な食べ物と格闘している子もいた。牛乳を飲めない子は、とくにかわいそうだった。毎日、クラスの担任に見張られ、休み時間に泣きながら、牛乳を飲まされていたのだから。

食事の時間は楽しい時間

子どもの村には、そんな子はいない。嫌いな物はとらなくてもいい。食べ終わるまで残らされることもない。「好き嫌いが直らない」、「栄養状態が心配」という声もあるようだが、学園長の堀さんの本には、食事はしつけが目的ではないと書かれている。私も自分のまわりの子たちを見ていると、好き嫌いは年齢が上がるにつれて、少なくなっていくものだと思う。

あの頃、「居残り」をさせられて、給食を食べていた子たちは、毎日の学校が辛かっただろう。楽しみであるはずの食事が、つらいものになってしまうのはもったいない。

また他の学校では、給食は黙って食べなければいけないところもあるようだ。子どもの村では逆に、楽しくおしゃべりしながら食べなければいけない(現在は新型コロナウイルスの影響により、楽しくおしゃべりしながら食べるのは難しい)。食事は飢えを満たすのが目的なのではなく、楽しい社交の場であるという考えだからだ。

コロナが流行する前は、小学生も中学生も大人も、みんなが同じ食堂で、好きな場所に座って食事をとっていた。好きな場所で、好きな子たちと、好きなものを楽しく食べるのが、子どもの村の食事なのだ。

また子どもの村では食べる回数も多い。朝食、昼食、夕食はもちろん、おやつと夜食もある。それにくわえて、料理をテーマにしているクラスでは、自分たちで作ったものも食べる。コロナウイルスが流行する以前なら、子供たちは、もらったおやつを好きなときに食べてよかったので、何日分もためておいて、寮の部屋でお菓子パーティーをしている子たちもいた。

学生時代にアルバイト先のレストランで店長から印象的な話を聞いた。食べているときと眠っているときが、人間のいちばん無防備な状態で、だからこそ食事は心を許し合った仲間同士の関わりの場なのだという。「同じ釜の飯を食う」という言葉も、それを表している。こんな話の内容だったと思う。

これは学園長の考え方とも共通する。子どもの村の子どもも大人も、まさに「同じ釜の飯を食う仲間」である。食事は、ただの栄養補給ではなく、人間同士の心の通い合いの場所なのだ。

感染症と楽しい食事

先ほどから話題に挙がっているように、新型コロナウイルスの感染が拡大してからは、食事に関する制約が増えた。世間でも「黙食」という言葉が使われるようになり、楽しくおしゃべりしながらの食事は「悪」だといわれている。

学校でもさまざまな意見はあったが、アクリル板を設置して、密集を避けるために学年ごとで時間を区切り、必要以上の会話を避けるようにしている。おやつや夜食も同様だ。

少し前までは楽しく食べる時間が大切にされていたのに、現在はおしゃべりをしている子を見ると、注意しなければならない。大人も子どもも複雑な気持ちだ。だからこそ私は、少しでも早く、以前のように笑い声の聞こえる日々が戻ることを祈っている。

- 自由教育ありのまま - 2021年12月発刊 vol.171

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