「心のお薬」。そう言えるプレマさんのジェラートを久しぶりに注文しました。それは、家族の面会も禁止という14ヶ月の長い入院を乗り越え、まもなく自宅へ帰って来る父のために。
父は食事を拒否しても、プレマさんのジェラートだけは食べるほど気に入っていました。ただ、いまも食べたがるのか? 食べること自体が可能なのか? それは、現時点で断定できません。
4ヶ月ほど前から誤嚥性肺炎が頻発するようになり、入院中の経口摂取が禁止されました。再び誤嚥性肺炎を起こせば命取りです。当然リスクが伴いますが、余命いくばくもない父が望むなら、もう一度味わわせてあげたい。
そんなふうに考えを巡らせていると、「どうしよう」と惑う自分の声がするではありませんか! ハッとしました。私の完璧主義で心配性な一面が顔を覗かせ、足が止まりかけていたのです。父と私に残された時間はわずか。私には迷う暇も、まだ来ぬ未来を心配して立ち止まる時間もありません。「思った通りにやろう!」。
やわらかく、やわらかくね
父を想う私の心にふと湧いた、「ジェラートを用意したい」という直感的な思い。その素直な気持ちこそ、私が大切にすべきことであり、大切にしたいことでした。父がジェラートを食べずに、残したとしても構わない。大事なのは、食べたかどうかの結果ではなく、私から湧いた思いなのでした。
そう気づいた途端、嬉しくなって手が動きだし、注文はわずか5分で完了。思考を挟む必要さえないほど、あっという間でした。このように思考を介さずスッと動くには、「思い」の取り扱いにポイントがあります。それは、やわらかく接すること。「こうしたい」という直感的な思いは、内側から湧き出たばかりの初々しく繊細な状態です。この段階で、思いに対して否定や評価、吟味、具体化などの「思考作業」を挟むと、消えてしまいかねません。それでは不完全燃焼です。「こうしたい」という思いは、どうぞやわらかく認め、感じてあげてください。
自分の思いを実行に移せると、パワーがみなぎります。喜びもあります。それは、周りにもよき影響を与えます。私の場合は、きっと笑顔でハツラツとした自分で、父に接することができるはずです。これは、父にもよき影響を与えるでしょう。一方、私が悶々として疲れた顔をしていれば、父は私に遠慮や心配をするでしょう。私が元気なら、父は安心して心穏やかに過ごすことができるに違いありません。
どっちでもいいよ!
おかしなものです。私たちは、分かりえない、まだ到来もしていない未来を心配し、悩み、立ち止まることがよくあります。記憶の中にある過去の失敗の痛みを避けたくて、慎重になってしまうのかもしれません。避けたいものを見つめるよりも、できるだけいまこの瞬間、自分の中でイキイキしている「こうしたい」「やってみたい」という感覚に目を向けてみましょう。するともっと楽しく、元気が出てきます。
最後に。完璧主義の傾向がある私ですが、「結果に対するこだわりは、ほどほどがよい」が持論です。その人が自然体で、柔軟でいられるからです。結果には、自分の努力以外の要因が多大に影響します。すべての結果をコントロールすることはできません。だから、「こうでなければならない」という力みは少し緩め、「こうなってもいいし、ああなってもいい」くらいがおすすめです。「どっちでもOK」の余裕があれば、リラックスして力を発揮できます。
小さな「こうしたい」の思いを一つひとつ大切にし、編み上げていくと、自分らしい現実、人生が織りなされていきます。それはまるで世界に二つとないタペストリー。織り手にも、周りにも喜びを運ぶ織物です。