憲法の条文の中で私が好きなもののひとつは、「学問の自由は、これを保障する」と規定された23条です。法律に慣れない方がこの条文を読むと、学問の自由がなにかを保障しているように感じられるかもしれませんが、この条文に規定されている「これ」とは、「学問の自由」のことを指しています。要するに、憲法23条は、「学問の自由を保障する」と宣言しているわけです。
この非日常的な言い回しに格調高さを感じるか、あるいは不自然な文法構造に居心地の悪さを覚えるか、それは人それぞれだと思いますが、いずれにせよ、この条文を声に出して朗読すると、きれいに五・七・五のリズムが刻まれることに気づかれると思います。それが、この条文特有の魅力を形づくっているようにも思います。
それはさておき、学問の自由の保障には、どのような意義があるのでしょうか。
学問の自由が保証された経緯
学問の自由を保障する規定は、大日本帝国憲法(明治憲法)には存在せず、日本国憲法において、初めて設けられました。その背景には、明治憲法時代において、学問の自由が国家権力によって侵害されてきたという歴史がありました。
そのなかでもとくに有名な事件は、京都帝国大学の滝川幸辰教授の刑法学説が自由主義的に過ぎるという理由で、滝川教授が休職を命じられ、これに反発した教授陣が辞表を提出するなどして抵抗した、京大滝川事件です。この事件は、黒澤明監督の『わが青春に悔なし』(1946年)のモデルにもなったといわれています。
憲法23条は、こうした負の歴史に鑑みて、学問の自由を独自の規定によって保障しているのです。
学問の自由の保障内容
では、学問の自由の保障について、具体的にご説明したいと思います。
まず、学問の自由には、①学問研究の自由、②研究発表の自由、③教授の自由が含まれるといわれています。学問は、真理の探究を目的とする営みであり、研究がその中核的な活動であることから、学問の自由には①の学問研究の自由が含まれます。また、学問研究が自由にできるとしても、その発表ができないのであれば、研究自体の意義が損なわれるので、学問の自由には、②の研究発表の自由も含まれます。そして、学問研究の成果は大学における教育としても表されることから、学問の自由には、③の教授の自由も含まれます。
また、学問の自由を享有するのは研究者に限定されませんが、一般に、学問研究は大学においておこなわれています。そのため、とくに大学における研究活動や教育活動が保障される必要があります。そこで、学問の自由の内容には、④「大学の自治」が含まれています。
次に、学問の自由の保障の意味ですが、これは主として、国家権力が学問研究、研究発表などの活動を弾圧したり、禁止したりすることが許されないということを意味しています。ただ、近年は、クローン技術や遺伝子組み換えに関する研究などの先端的研究について、規制の必要を指摘する見解も存在しています。この点は、学問の自由の保障についての現代的な課題といえるでしょう。
学問の不自由?
学問は、真理の探究を欲する人間の本性に基づく活動であると同時に、人間や社会の発展に不可欠な営みです。そのため、学問の自由は、厚く保障されなければなりません。
ところが、今年、学問の自由を揺るがすような重要な出来事がありました。これについては、次回以降にご紹介し、検討してみたいと思います。