今年の初冬のこと。
親しい友人や、お付き合いの長い患者さんが続けて脳出血・脳梗塞で倒れることが続きました。
「今朝、救急で搬送されて今は集中治療室で意識も戻っていない」といったご連絡をご家族からいただくことが何日も連続して続き、かなり落ち込みました。
すぐにでも駆けつけたいのに何もできない無力感、あとは第二第三の彼らを出してはならないという焦燥感、なにがなんでも患者さんを最優先しなければならないという義務感。
それらのものがあまりにも大きくなり、時間外診療や夜間の往診など、とにかくすべてを受け止めようと必死になって動き続けることで周りが見えなくなっていたと思います。
「忙しい」と「心」が「亡くなる」
そんなある日の早朝、友人からメールが届きました。
そこには一言「大丈夫?」とだけありました。
疲弊してしまっていた自分の姿に気づかされました。
自分が動くことは自分の勝手ではあるけれど、ここで倒れてしまえば、何百人という患者さんに迷惑をかけてしまうという当たり前のことが見えなくなっていました。
治療者として、なんでも自分が背負い込めばいいと傲慢になっていたのです。
おかげで冷静さを取り戻すことができました。
患者さんから急な連絡があっても、先に受診する病院や検査、まずご自身でできるお手当てなど、的確に伝えられるようになりました。
そして、治療者といえども自分も人間であるから無理はいつまでも続かないとの視点ができ、「断る勇気」をもてるようになりました。
「忙しい」という字は、「心」が「亡くなる」と書くように、疲弊してしまい、あらゆることに対して雑になっていたようにも思い、そこも反省しました。
自分自身を整えるようになりました。
日々の食事をきちんとすること。
食べないときは食べない、食べるときは食べる。
きちんと「いただきます」と「ごちそうさま」をする。
食事が雑になると「いただきます」と言えなくなります。
適度に運動する。
ときどき朝早めに起きて軽いジョギングをする。
きちんと休息する。
何も予定を入れない日をつくる。
どれも自分が患者さんにお伝えしている、当たり前のことばかり。
当たり前が当たり前でなくなっていたことに気づくきっかけをくれた友人には感謝しかありません。
かたよらない、こだわらない
人さまからのアドバイス、素直に受けとれるときとそうでないときがありますね。
とくに自分にとって耳の痛いことは、つい反論したくなりがち。
そういうときこそ、最後まで黙って耳を傾けることができるかどうかが大切です。
大人になるにつれて注意してもらえる機会が減ってきますから、「気づかせてくれてありがとう」と、まずは感謝の気持ちを口にしてみることです。
注意してくれた相手側からすれば、勇気のいることのはず。
それを言ってくれることは、自分のことを信じてくれているからなのです。
一方、陰口については、私は無視することがいいと思います。
直接注意してくれる人との最大の違いは、信じてくれているかどうかにあると考えます。
信じていないからこそ、陰でコソコソと言うのであって、それを気にしてそこに合わせる努力をしてみたところで、所詮は信用されることはないのです。
陰は陰のままでそっとしておいて、わざわざ日を当てる必要はありません。
あえて嫌われる必要はないけれど、同じように皆から好かれる必要もない。
それくらいの覚悟をもって生きられたら、楽になりますね。
和して同ぜず
最近の日本人の悲しい傾向として、間違った人を徹底的に叩こうとする姿勢が見受けられます。
さほど間違ったことをしていると思えないようなこともあったりします。
そこにあるのは「間違い」ではなく「違い」ではないでしょうか。
長年連れ添った夫婦でさえ、ほんの些細な行き違いから別離することすらあるのですから、ネット上で顔も合わせたことのない関係で100%同じと思い込んでしまうなど、幻想でしかありません。
惑わされず巻き込まれず、自分らしく生きる覚悟をもっていたいものです。
圭鍼灸院 院長 鍼灸師
マクロビオティック・カウンセラー
西下 圭一(にしした けいいち)
新生児から高齢者まで、整形外科から内科まで。
年齢や症状を問わないオールラウンドな治療スタイルは「駆け込み寺」と称され医療関係者やセラピストも多数来院。
自身も生涯現役を目指すアスリートで動作解析・運動指導に定評がありプロ選手やトップアスリートに支持されている。
兵庫県明石市大久保町福田2-1-18サングリーン大久保1F
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http://kei-shinkyu.com