観光地や繁華街など、多くの人出がありにぎわっているようです。人が増えれば心を配り、警戒感や危機意識も必要になってきます。
あるタレントさんがこれからの日本を「新しい戦前」と表現して話題になったことがあります。文字通り「戦争が始まるのか」と受け取った人もいたようですが、それよりもだれも経験したことのない時代になるとか、重たく不穏な空気が漂う世相を表現しているとか、さまざまな解釈がされたようです。ただ、本人から言葉は続いておらず、真意のほどはわかりません。
交通網や情報網が発達し、世界はどんどん広がっているのに、逆に狭くなったような息苦しさを感じることがあります。他人と異なる行動や発言に対する「同調圧力」に抑えつけられる怖さのようなものでしょうか。以前なら「そんな人もいるよね」「そんなこともあるよね」と流されていたことが、なにかのきっかけで徹底的に叩かれる。「表現の不自由」とでも言えそうな感覚に、「新しい戦前」という表現が合ったのかもしれません。しかし、戦前ということは回避できるということ。明るい未来に希望を持ちたいものです。
柔軟に成長する
二〇二五年の干支は、乙巳。「乙」の字から想像できるのは、しなやかに伸びる草木のように紆余曲折しながら進む姿。「巳」は蛇、脱皮して成長していくので、再生や強い生命力と考えることができます。
昨年の甲辰、甲のような硬い殻を破って、辰は龍のように昇っていく姿から、殻を破ることで成果の見えやすい年回りでした。昨年転機を迎えた人にとっては、今年はさらに突き進むことができるでしょうし、昨年は成果が見えなかった人にとっても、諦めずに努力を続ければ成長できそうです。脱皮と考えれば、執着を手放す必要があるかもしれません。その先に今年の再生・成長のエネルギーを受けて、実りを結び始めることがあるでしょう。
先ほどの「戦前」から考えれば、硬い殻を破って見えなかったものが見えるようになった昨年からの流れでは「戦後」を考えることもできます。変化や再生・復興と考えて軌道修正し、柔軟に対処できれば大きな成長もありそうです。
しなやかに、自分のやりたいようにやってみる。どこか行きたいところがあれば、行きたいときに、行きたいところへ行く。そのくらいの自由はあるはずです。居場所が変わることで、のびのびと成長できることもあるかもしれません。柔軟さから考えれば、真意のわからないことは自分なりに解釈すればいい。わからないことをいつまでも悩んでいる必要もありません。ただし、しなやかに。人に伝えるときには断言してしまわないよう心掛けると良さそうです。
人は刺激を受けると心がざわつくことがあります。しなやかさに刺激は必要ありません。刺激を遠ざけるためにも、パソコンやスマホを脇に置いて情報から離れ、一人で心を落ち着かせる時間も必要でしょう。しなやかさと柔軟な心で、希望を持ちたいものです。
あたりまえの有難さ
禅の言葉に、「無事是吉祥」とあります。何事もないのはめでたいこと。いつものことがいつものようにできる。そんなあたりまえのことこそ、ありがたいということです。
他人に頼らず、自分で選択し自分で進む。そのためにも、まずは他人の目を気にしない状況をつくってみるのもよいでしょう。自分が自分を認めればいいのであって、人に認めてもらう必要はありません。少なくとも不特定の人が目にするような状況を避けるだけでも、何事もなく過ごせる日々になるでしょう。
無事であること、何気ない日常こそ吉祥。大切にしたいものです。