2023年1月3日、京都の三条会商店街内にビーントゥバーのチョコレート専門店「プレマルシェ・カカオレート・ラボ」がオープンしました。2018年から出店計画を進めてきたものの、コロナ禍で中断。2022年春から本格的に工房を稼働し、唯一無二といえるカカオレートが完成しました。その誕生秘話と魅力に迫ります。
チョコレートを超えて
生命力と共鳴するものを
——ビーントゥバーのチョコレート店の構想を始めたのはいつごろですか。
代表中川 2018年です。当時プレマルシェ・ジェラテリアを京都と東京で開店した関係で、よくイタリアと往き来していました。あるとき、ボローニャで偶然チョコレートの大きなイベントに立ち寄って、これは面白いと思ったんです。ヨーロッパではチョコレート産業は大きな産業で、日本よりも遥かにバラエティに富んでいるし、消費量も多い。その世界に魅了されて、自分たちでもチョコレートを作れないかと考え始めました。同時期に、京都三条会商店街内のプレマ本社のほど近くに古いビルを購入していたので、その味のある雰囲気を生かして、1階で小さなチョコレート工場を、2階ではレストランをやるというビジョンが見えていました。作るからには、カカオ農園から直接カカオ豆を買い取り、豆から製品になるまでを工場で一貫して作りたい。つまり、ビーントゥバーチョコレートです。チョコレート業界は、ご存じのように、大量生産・大量消費が前提で、児童労働や不公平取引が問題視されていますよね。それに対抗するために、アメリカを中心に近年盛んになっているのがビーントゥバー。日本では20年前ごろから高級チョコレートのブームをきっかけにチョコレート専門店が多数出店しましたが、ビーントゥバーの店はそれほど多くはありません。日本のメーカーのみならず、最も一般的な製造方法としては、製菓用のクーベルチュールチョコレートを溶かして固めているだけ。それをボンボンなどさまざまな形に成形して、さもオリジナルのチョコレートであるというふうに謳われていることにずっと疑問を持っていました。なんてインチキな世界なんだと(笑)。すぐにイタリアのビーントゥバーの学校に行って、一通りの製造工程を習得しました。私自身がショコラティエとなり、まず着手したのは、理想とするチョコレートを作るのに必要な設備をフルに揃えること。ジェラート作りの経験から、より良い設備がより良い品質に直結することを確信していたからです。一方、原料のカカオ豆は、ドイツで開催された世界最大級のオーガニック見本市ビオファで、すでにベトナムのカカオ農家と出会い、2019年初頭にはカカオ豆を輸入することが決まっていました。しかし、さぁ準備万端と思っていた矢先に見舞われたのが、コロナの大流行です。カカオ豆がなくては始まらず、約2年間計画が中断していました。昨年春からは現在ショコラティエである中川愛が入社して、この約9ヶ月間開店準備を進めてきました。
——カカオレートの特長はなんですか。
プレマルシェのものづくりの考え方は、ジェラートやダイナーで提供する料理にも共通することですが、口にした方の人生が変わるほどのインパクトを感じていただくこと。電気を通す機械で作る以上、製造工程のどのタイミングで電気的なエネルギーを調整するか、どんな場でどんな意識で作るかなど、目に見えないところも含めてすべてに工夫を施してあります。どんな質の原料であっても、うちの製造工程を経れば美味しいものに変化する。そのように設計しているところは他にないと思います。カカオがもともと持つ体と精神に良い純粋な力を最大限に引き出したのが、カカオレート。一口食べて幸せな美味しさに包まれ、体内に入って私たちの心身と共鳴し、結果として私たちの生命力を高めるものと定義しています。もうひとつ大事なことは、既存の業界の枠組みから外れてまったく新しい考え方、作り方をしながら、いかに多くの人たちに認めてもらえるかです。ビーントゥバーというまだ希少価値のあるコンセプトに逃げて、中身がおざなりではどうしようもない。日本国内だけでなく、本質を見極める目を持つヨーロッパのお客さまにも満足していただけるような味や見た目、店舗設計を追求し、初めから世界で競争できるものだけを作ることを意識してきました。それが、さまざまな文化、食の志向、体質、年齢などを持つすべての人が一緒に楽しめるものに結実するのだと思います。
——今後の展開はどうお考えですか。
現時点では、カカオレートの骨格となるタブレット(板チョコ)が5種完成しています。今後はこれを土台に、ボンボンやジェラートも提供する予定です。
会って話すことが
世界平和の原点
——昨年12月にカカオ豆の産地であるベトナムの農園を訪問されました。直接会ってどのように感じましたか。
カカオレートの原料となるカカオ豆の産地は、現在ひとつ。ベトナム南部のドンナイと呼ばれる地域です。地域一帯の農家を束ねるドンナイ農事組合を率いるのがルアンさんです。ルアンさんは、ベトナム戦争を経験していて、終戦時に9歳だった彼がその後どのような人生を歩んできたのか。直接会って話を聞けたことには大きな意味がありました。私たちはカカオレートを作るにあたって、チョコレートを巡る不公正で大量消費をめざす世界からは距離を置くと決めています。少量でも良質なものをお届けするには、生産者さんとの人間的な関わりが欠かせません。開拓民としての家庭で育ち、地域一帯の農業を発展させてきたこと。ドイツに留学し教育を受けてきたこと。今では順調にコショウなどの農作物を栽培し、ヨーロッパにも毎年約1千トンも輸出されていること。彼は、「人間にとって平和ほど大切なものは他にない」と話します。そして「平和のために欠かせないのは、どんなことでも会って話し合うことだ」と。話をしてお互いを知ると、信頼関係が生まれます。プレマの事業の軸となるものも世界平和です。そのためには、人間的なおつきあいがなによりも大事なんです。
——カカオ豆はどのように栽培されているのでしょうか。
この地域は、メコン川流域の豊かな自然に支えられて農業が盛んです。ルアンさんたちの組合では、現在主に栽培しているのは有機栽培のコショウで、あわせてカカオ豆の栽培もおこなっています。行ってみてびっくりしたのは、カカオ農園にはカカオやコショウ、その他の植物が共生していて、まさに自然が共生・調和した環境であるということ。森のなかにカカオが生えているという状況で、ワイルドそのものなんです。大きな機械を使うこともないし、肥料はカカオポッドの殻を発酵させて土に蒔く、緑肥が基本でした。その後の工程はどこも似ていると思いますが、収穫した豆を微生物の力で発酵させ、天日乾燥させる。この農園のカカオ豆は比較的小粒で収量も少なめです。工業ベースでもっと肥料などを増やせば大粒で収量の多いものができるのでしょうが、この環境を目の当たりにすると、ここの豆で間違いないと思いました。ルアンさんたちのカカオ豆を輸入しているのは今のところ世界中で私たちだけです。
——ルアンさんも国際協力に関心をお持ちで、意気投合したと伺いました。今後どんな関わりがありそうですか。
じつは最終日に、すでにホーチミンに戻っていた私に話したいことがあるからと、ルアンさんがわざわざ4時間もバスに乗って会いに来てくれました。それは、ヨーロッパのNGOの協力を受けて、ベトナムの隣国であるラオスとカンボジアの農業指導を始めているプロジェクトの話で、一緒にやりませんかというお話でした。
ルアンさんから国際協力の構想を聞いて、私たちも応援したいとお伝えしました。たとえば、農園の取得や設備に関しての投資などが予想されますが、現時点では、どんな形かは未定です。でも、これからそういった関わりが始まれば、ルアンさんたちをカカオレート・ラボに招聘して、カカオ豆から製品になるまでを確認してもらうなど、さまざまな人的交流が可能になるのではないかと思っています。以前から、理想は自社農園のカカオ豆を使う「ファームトゥバー」だと思っているんです。とはいえ、まったくつながりのないところに農園を持てないし、人と人のつながりのなかから自然な形でそうなれば、案外早く実現するかもしれません。カカオレートの事業を通して、お客さまとの出会い、生産者さんとの出会いなど、たくさんの方々とつながれることを楽しみにしています。
お客さまとの
会話が喜び
——一人で開店準備をされてきて、大変なことも多かったと思います。
中川愛 前職は学校の先生だったので、チョコレートどころか食の仕事も初めてというところからスタートしました。最初は本を読んで知識を得たり、さまざまなチョコレートを食べ比べたりしていました。その後、昨年6月にイタリアのビーントゥバーの学校に行って、言葉の壁はあるし、周りはプロの人ばかりだったので、正直なところあまりついていけなかったです。機械の操作方法や工程は理解できたので、帰国してからは工房にこもって、試作品の製造に没頭しました。イタリアの機械は不具合も多いので、機械の調整をしながら、納得できる豆の焙煎方法を体得するまで時間がかかりました。同じ農園から届く豆でも、豆の収穫時期など少しの違いで、同じ焙煎をしてもまったく味が変わってしまうんです。基本となる「素のままシグニチャー」の味はわりと早い段階で決まっていたのですが、いつも同じ味になるよう、その都度豆の性質を見極め、味を調整することに苦労しました。開店日を決めてからは、準備も慌ただしくなりました。製造だけでなく、パッケージや内装など、やることが山積みで。店を開くというのは、こんなにもやることが多いのかと驚きました。年末のギリギリまでひたすら作って、最後は家族総出で作業をして、なんとか間に合ったという状況でしたね。シグニチャーは機械で作れるのですが、他のフレーバーは手作業の工程が多いんです。無事に予定通り開店の瞬間を迎えた時は、自分でも信じられないような気持ちでした。
——開店当日はどうでしたか。
ついに念願の日が来たんだと。開店後すぐに来てくださったお客さまや、何度も来てくださるお客さまもいて、本当に嬉しかったです。開店するのをずっと待ってくださっている方のために、一日でも早くカカオレートを届けたいと思っていたので、「楽しみにしていたのよ」と言われると、がんばってきてよかったなと思いました。少しでも気を抜いたら泣いてしまいそうな心境でしたね。それから、自分が作ったものをお客さまに直接お渡しできること、会話できることに、なんともいえない喜びを感じました。製造作業が孤独である反面、こんな喜びが待っていたのだなと。なかには「人生初チョコレート」として小さなお子さんに与えていた方もいて、それを目撃できるって素晴らしいなと思いました。これからバレンタインデーや卒業シーズンも近いですし、ご自身はもちろん、贈り物としてもカカオレートを選んでいただけると嬉しいです。