実家で迎え火をすると、またこの季節がきたんだなぁと思う。ときどき思い出しては、心のなかで対話する大切な3人の亡き人たちがいる。
1人目は、鍼灸の師匠である。「師匠だったら、どうアプローチするんだろうか」。治療の難しい場面に出くわしたときに、頭の片隅にいてくれるような存在だ。
2人目は、自分の人生で出逢う縁があったことに感謝がつきない友人である。彼女の作品のひとつに、コスモ石油が発行していたダジアンという環境コメンタリーマガジンがある。それは、草や氷、雷、炭、月、雨などの自然をテーマにして掘り下げていく興味深いものだった。久しぶりに読んでみて気づいたのだが、かつて彼女が感じようとしていたものに、いまの私も同じように惹かれている。彼女の見ていた景色を、今になって私が辿っているような不思議な感覚になるときがあるのだ。
彼女とは「アレルギー体質でほとんどの化粧品でかぶれてしまう」という話をしたのが始まりだった。私が乳製品や唐辛子は皮膚の弱い人には良くないという話をしたら、彼女は次に会ったときには、牛乳をやめていた。彼女は身体への取り組みをすぐさま始めていた。なんて素直な人なんだろうと思った。私にとって彼女は、「だれかを大切に思うこと」を身をもって教えてくれた友人である。なんとなく迷ったりしたときに、心のなかで対話している貴重な存在だ。
3人目は、私と考えていることがとても似ていた父である。口下手で、とても優しい人だった。気づいたときには大変な病態であった。
闘病をしていた時期はそれぞれ異なるが、3人とも自身が苦しい状況であっても、そばにいる人に、自然に心を向けて優しさをおくっていたのだ。「どうしてそんな風にできるんだろう」とふと感じることがあった。いま思えば、3人に共通しているのは、自分のなかにぶれないなにかを持って生きていたことのように思う。
私は死を目の前に感じたときに、どう生きることができるだろうか。鍼灸の古典に『素問霊枢』がある。そこには、魂は肝に宿り死ねばはなれるもの、魄※は肺に宿り気は魄を宿すということが書かれている。人が死んで形はなくなったとしても、その人の魄、イノチの根っこにある想いはなくならないと解釈しているのだが、3人のことを想うと、とても腑に落ちたのだ。なぜなら、肉体はなくなっても、想いは肉体があるときよりも、側にあるような気がしているからだ。
誕生して「生」が始まると、おのずと「死」と繋がる。昨今、死を語ることや死を自宅で見守る光景は、すっかり失われてしまっている。「メメント・モリ」死を語ることを怖るるなかれというインディアンの言葉を知ったときに、今を懸命に生きることは、死を語ることを省いては始まらないのではないかと思った。
思い残し切符
舞台の空気感に焦がれて、月に一回演劇を観に行っていたことがある。小説家であり、劇作家でもある井上ひさしさんが、敬愛する宮沢賢治の生涯を描いた伝記劇『イーハトーボの劇列車』のなかで、宮沢賢治が思い残し切符というものを車掌から渡される。それは死を迎えた人の想いが切符となって生きている人間に伝えられる。そして、宮沢賢治は自身の死期が近づいたときに、後に生きる人たちや社会へ思い残したことを語る場面があった。
この演劇を観たときに、「自分もだれかの思い残し切符を託されているのだろうか? もしかしたら、自分の大切な3人からも思い残し切符を託されているのかもしれない。私の命が終わるときには、だれかに自分の思い残し切符を託していきたい。よし、いまを大切に生きるんだ」と思ったことを、今でも覚えている。
※中国の道教では、魂と魄という二つの異なる存在があると考えられていた。魂と魄は易の思想と結びつき、魂は陽に属し、神・心・生気に繋がり、魄は陰に属し、精・生きるもとに繋がると考えられていた。