このところ子育ての相談が増え、特に多いのが「長所を伸ばすにはどうしたらいいか」についてです。決まって「最初の一歩は、短所と向き合うこと」と答えています。
長所とは、他者から見て優れていると思われるところ。短所とは、他者と比べて苦手と思われ、改善が必要とされるようなところです。長所と短所は真逆のことのように見えて、実は表裏一体で関連していることも多いもの。だから、長所について尋ねられたときには短所で答えるようにしています。
長所のための短所
長所を伸ばす教育といわれるようになりました。大きな理由は、短所ばかりを見て叱ってばかりの関係を戒めるものです。だからといって、長所だけを見ろといっているわけではないはず。バランスの問題でしょう。
例えば、物事をよく観察して深く考える子どもがいたとします。周囲からは「小さいのにしっかりしているね」と言われます。そこで長所を伸ばそうと「もっと考えよう」と言い続けたらどうなるか。長考する癖がついてしまって、咄嗟の判断ができなくなってしまうでしょう。やがて「のんびりや」や「優柔不断」と周囲から見られ、意見を聞いてもらうのは後回しになっていくかもしれません。
深く考えることはできるのだから、あえて素早く考えさせてみる。日常のちょっとした買い物や、食事のメニューなど、目の前に並べたら数秒以内にどれにするかを決める。短時間で決断する癖をつけることで、本当に必要なときの熟考が活きてくるでしょう。
また、「忍耐力がない」という悩みのある子は、実は視野が広く周囲がよく見えて、つい目移りしてしまうのかもしれません。これも長所を伸ばそうと「よく見ていたね、もっと見よう」などと言えば、ますます忍耐力はなくなりそうです。むしろ「今は周囲を気にせず、ここだけに集中しよう」と仕向けてあげる必要があります。
確かに「短所を克服するより、長所を伸ばしたほうがいい」とは、耳障りが良い言葉です。だけど現実には、長所を伸ばすためにこそ克服すべき短所というのもあります。どちらか一方だけではなくて双方を見る必要があるのです。
公園の遊具にシーソーがあります。支点を中心に長い板が両方向に伸びてバランスを取っています。片方が短く、もう片方が長ければ遊ぶことはできません。そこで、短い方の板を延ばすとか重いものを乗せるなど工夫してバランスを取り直します。長い方はすでに地面に当たっていますから、なんともしようがありません。長い方をさらに延ばすために地面を掘ったりしたら、ただの迷惑ですね。
ここでの短い方の板を短所に置き換えてみます。短所と向き合うのは、面倒に思えても実は自己完結できて早いのかもしれません。
分けない訳
禅の言葉に「一片好風光」とあります。一所でなく全体に意識を向ければ素晴らしい景色が見えてくるという意味です。正しくは「陰陽不到処一片好風光」といい、陰と陽を分けて比べることなく、どちらに偏ることもないのが素晴らしいという意味になります。
陰と陽、あるいは長所と短所も、それぞれが別々のものではなく双方が合わさって一つのものということ。どちらが正しい、正しくないということでもありません。どちらをどうするかと偏って見ることをなくせば迷いが晴れるということなのでしょう。陰や陽、長所や短所などに捉われ過ぎると、目が曇ってしまい見えるものも見えなくなってしまうのかもしれません。
良い悪いの区別はせずに、そのまま引き受けるのが理想の処なのでしょう。