当院では、特に初診の患者さんの治療後には、自分で身体を温めるお手当をするように伝えることが多いです。症状改善だけでなく、養生やリラックスのためにも続けることで健やかに過ごせるものです。「毎日が心地よくて、良いことを教えてもらいました」と感謝されることもあります。
まれに「どれだけ続ければいいんですか」と不満そうにいわれる人がいます。最初の答えは決まって「ずっと」。もし不満であれば、「自分で決めよう」。効果が感じられず、心地よくもないものを疑いながら続けるのがストレスであれば、止めたほうがいいでしょう。とはいえ、なにかしていないと不安もあるでしょうから、「もう少しだけ続けてみましょうか」と伝えてみます。
あと、治るか治らないは病院の診断結果に委ねずに、日常の過ごし方から自分で判断するのも大切。お手当をやったから治るというよりも、心地よくて続けていたら治る。そんなところでしょうか。
過程が財産
続けるということでは「お百度参り」が知られます。願いがあるとき、神仏に百回お参りすることで、願いが届いて叶いやすくなるというもの。もとは、近所の氏神神社や社寺に、100日間続けて参拝する百日詣から、100日もかけられない急を要する祈願などで百度のお参りに簡略化されたようです。実際には99回ではなにもなかったところから、100回目になにかが突然に変わることは考えにくく、そのくらい多い回数を続けることで決意を固め、自身の覚悟を決めるのではないでしょうか。
現実的には100回(100日)後に状況が変わることより、そこに到るまでの過程で自分の心の持ち方が変化するのに期待してみるといいでしょう。例えば合格祈願として、お参りを重ねるうちに「こんなことしてる時間ないかも」と勉強する時間を増やすほうが、合格に近づきそうです。神仏が合格通知を届けてくれるのではなく、なにかを始めた自分、気づきを得た自分、覚悟を決めて続けた自分へもたらされるものでしょう。結果とは過程の先にあるもので、先に結果ありきの過程などないと考えてよさそうです。やるべきことをやったうえでの祈りであって、やるべきことをやらずに祈っていても願いは届かない。自信をもって本番に臨めた自分を誇りに思えることが、合格以上に先の人生での財産となるかもしれません。
対象を神仏ではなく、人づきあいと考えてみるとわかりやすいでしょう。何度か通ううちに顔なじみとなったお店で、いくらかサービスしてもらったり、限定品を優先してもらえたりした経験はないでしょうか。そこのお店が便利、そこの商品が好きだと通い続けた先にあるものです。それを最初から「この店は100回通ったらおまけしてくれるんですか」といったら、店主さんは良い顔をしないのではないでしょうか。
治る・治らないの診断結果や、合格通知、おまけやサービスなどは、相手や他人の判断に委ねるもの。それよりもその状況にある自分を面白がれれば、状況は変わっていなくとも運命に打ち勝っているといえるでしょう。
つながり、導かれる
禅の言葉に、「一月浮万水」とあります。夜空に輝く一つの月が、地上のあらゆる水面に映っている光景を表しています。私の手の掬い上げた水のなかに映る月は、あなたの手の水にも映っている。私にも、あなたにも、イノチが宿っていることの表れともいえます。天の月が地上のあらゆる水面に反射して映るように、すべてのものに、他のものが影響し合って存在していることを説いているともいえるでしょう。
すべてはつながっている。自分が決めたように、自分は導かれていくものなのかもしれません。
