前号では、サトウキビと並ぶ砂糖の二大原料でありながら、甜菜からは黒糖が作れない理由についてご紹介しました。本号では、甜菜糖誕生の歴史をたどります。
甜菜からショ糖を結晶として取り出すことに成功したのは18世紀に入ってからのことです。紀元前300年ごろのインドではすでにサトウキビの搾汁液からショ糖の結晶化がおこなわれていたとされ、それと比べると実に2000年以上の隔たりがあります。
歴史を遡ると、甜菜は古代ローマ時代には地中海沿岸で葉野菜として食されていました。やがて中世ヨーロッパでは根が肥大する性質を利用し、家畜飼料としても活用されるようになります。そして1747年、ドイツの化学者によって甜菜の根からショ糖を結晶として取り出せることが確認されました。しかし当時は、南米やインドなどのプランテーションで生産されるサトウキビ糖が世界市場を席巻しており、甜菜が砂糖原料として直ちに利用されることはありませんでした。
その状況を一変させたのが、ナポレオン戦争とイギリスに対する大陸封鎖です。フランスの植民地であった現ハイチでは、奴隷反乱と独立(1804年)によって製糖が機能しなくなりました。さらに海上輸送と港湾を制したイギリスによって、ヨーロッパ大陸への砂糖供給は大きく制限されます。イギリスからの輸入に依存していた状況下で、この経済封鎖は大陸諸国にとって深刻な打撃となりました。
こうして「自国で砂糖を作る」必要に迫られた結果、甜菜がにわかに注目されます。1801年、現在のポーランドにあたる地域で世界初の甜菜製糖工場が稼働し、1811年にはナポレオンの号令のもと、甜菜糖生産はフランスの国家事業として本格的に推進されました。
この工業化の過程で特筆すべきは、品種改良による糖度の向上です。初期には5%程度だった甜菜の糖度は、わずか数十年で20%近くまで高められ、まるで別の植物と思えるほどの進化を遂げました。原種バナナの糖度が数千年をかけて改良されてきたことと比べても、その進化速度は驚異的といえるでしょう。
歴史を顧みると、地政学的には「サトウキビ糖は海を制した国の砂糖であり、甜菜糖は海を失った国が選んだ砂糖だった」と表現することができます。

