だれかの期待に応えられなかったときや、自分の楽しみを優先してしまったときに「また、やってしまった」と思う瞬間はありませんか。日々のルーティンワークに疲れて、ちょっと休もうかなと思ったときに「そんなことしている場合じゃないでしょ」と頭のなかに声が聞こえてきませんか。そんな声とともに胸の奥に湧いてくる、ズシッと重たい感覚。それが罪悪感です。
罪悪感の正体は、じつは「記憶のなかのお母さん」です(2025年9月の当コラム参照)。わたしたちが赤ちゃんだったころ、世界は自分と母親だけでした。お母さんが笑えば世界は明るくなり、お母さんが悲しめば世界は暗くなります。そして赤ちゃんにとって、母親に見捨てられることは、生きていけなくなることを意味します。お母さんの価値観を命がけで受け入れようとします。その小さな宇宙のなかで、母親の価値観は、絶対的なものとして刷り込まれます。思春期にその価値観を転換するチャンスがくるのですが、反抗がしっかりできないと、大人になっても親の価値観を持ち続けます。その結果いつも「どう思われるだろう?」と無意識に感じるようになってしまいます。無意識下では「お母さん」という主語がなくなって、罪悪感という感覚だけが残ります。そうして罪悪感の声を絶対の正しさと勘違いしてしまうのです。
ストレスを抱えている子どもたちに、「やりたいことを少しでもやって、やらなくちゃと思いながらやっていることを少しでも減らしてね」と伝え続けています。それですぐに変化が起きる場合もありますが、なかなか変化しない場合もあります。お母さんの罪悪感が強いとなかなか変化が起きないようです。
「正しさ」の正体
最近、患者さんから印象的な話を聞きました。母親から帰省を催促されたのに、仕事も家事も忙しくて、休みたいと思って帰省しないと伝えたとのことでした。それ以来ずっと胸が苦しく、自分はなんて親不孝なのだろうという思いが頭を離れない、というのです。
その方は、自分の疲れや都合よりも、親の望みに応えることが「正しい」と信じていました。でも、それは本当に「正しい」のでしょうか。
100人いれば、100通りの正義があります。「疲れたときは自分を守るのが当たり前」と思う人もいるし、「どんなときも親のそばにいるべきだ」と思う人もいる。どちらが正解ということはなく、ただ「育ちのなかで刷り込まれた価値観」があるだけです。
反抗期は、そのことに気づくきっかけになります。「なんで親の言う通りにしなきゃいけないの」と親の価値観を壊すことで、自分の価値観を作れるようになります。でも反抗期がなかったり、遠慮がちだったりすると、親の価値観は心のなかに居座り続けます。
罪悪感を手放すために、まずその構造を理解しましょう。「これはお母さんの声かもしれない」と気づくだけで、心理的な距離ができます。そのうえで、勇気を出して、その罪悪感を感じることをあえてやってみましょう。「やらなくちゃ」と無理してやってきたことを、いったんやめてみる。「やりたい」と思いながら我慢してきたことを、試しにやってみる。罪悪感の声に小さく反抗してみましょう。それが反抗期を完成させることにつながります。「本当にそれでいいの?」とまた罪悪感が湧くはずです。それでも、勇気を出して「やってみる!」です。
罪悪感が薄れると世界が軽くなります。自分の気分で動いていいし、自分の都合でやめてもいいのです。そこからようやく新しい人生がスタートします。胸に重く居座っていたあの声は「絶対の正しさ」ではありません。それは幼いあなたが精いっぱい愛しようとした、あの人の価値観でしかなかったのです。
