「私が顔を近づけても 困ったように覗く表情が映るだけ 磨いても出てこやしない――壊したくなる前に うっすらでもいい。見せてよね?」。
これは私のオリジナルソング『水晶玉』の歌詞です。水晶玉を使う占い師をイメージしました。占う相手の気持ちや未来は、手持ちの水晶玉越しに見えても、いざ自分の顔をかざすと、驚くほどなにも見えない。占い師の、困惑していらだっている様子を綴っています。
自分のことがわからない?
ちょっと驚かれるかもしれませんが、おそらく稀であろう発達障害の特性による困りごとを開示してみようと思います。先ほどの歌詞は、自分の状態や気持ちがよくわからないという、もどかしさの例えなのです。相手と自分における境界線が薄いという自覚があります。人のうれしさや悲しさを自分のことのように感じられる反面、意見されると、相手の言動につられて同意したと錯覚しているのか、それとも相手に心から共感しているのかが、わからなくなります。
一人で買い物をすると、たいていすぐに選べるのです。でも、何人かで一緒に洋服店へ足を運んだとき、「その服よりも、こっちのほうが絶対に似合うよ」と言われると、納得しているかどうかわからず、言われるがままに選んでしまうのです。そんなことが、幼少期からつい最近までありました。「この気持ちは、果たして自分のもの? それとも相手だけのもの?」。自他が混ざりあい、混乱してしまうのです。また、もやもやすることがあっても、上手く言葉で表現できず、未消化になることも多くあります。
自分のことが、自分でわからない。本気でそう感じます。発達障害があると、感覚のなかに、敏感・鈍感な分野が共存し、光や音を大きく感じて疲れやすい反面、お腹が空いたり、高熱を出したり、辛い思いを抱えたりしていても、自分ではまったく気がつかないということが起こり得るのです。気持ちを言語化し、相手に伝えることが苦手で困ってしまうことも、同様に多いとのことです。
ほかの発達障害の方は、どんな工夫をしているのだろう?と調べてみると、その場で気持ちや意見をまとめることが苦手な代わりに、時間を置いて、改めてメールで相手に伝える方もいらっしゃると知りました。気持ちを会話のなかで自然に伝える。それがもし苦手ならば、代替の手段を使えばいい。そうすれば、きっと楽になるのだな、と思えました。
気持ちを伝える手段はいくつもある
ふと、歌に感謝したいという想いが芽生えました。なぜなら、歌で表現することで、以前よりも生きやすくなったと感じるからです。歌でなら、存分に気持ちを伝えられる。いまはそう確信しています。
シンガーソングライターとして活動をはじめてもうすぐ2年が経ちます。面白いことに、「熱い人」だと言われることが増えました。相手を応援する熱い気持ちは、歌詞に込めて伝えることができますし、歌声にも込められているかもしれないと感じます。普段は、上手く表現できずに絞っている「気持ちのボリューム」を、歌っているときだけはきっと最大値にできる。相手に届けられる。歌った後に、「心が伝わってきた」そう言われる場面が増えて、うれしくなりました。
もしも、お子さまなど身近な方が、内なる気持ちを、うまく表現できず苦しんでいらっしゃるのなら、言葉以外のさまざまな手段を試みるのもいいのではないでしょうか。たとえば、踊ること、絵を描くこと、写真を撮ること、手紙を書くこと……。その人にピッタリな表現方法への、すてきな出会いを願っています。