ライブの出演者でありながら、実行委員もつとめた「みんNANOライブ」が、12月1日に京都の紫明会館で無事に開催されました。数日が経ったいまも、ずっと余韻にひたっています。
シンガーソングライターの活動を始めて2年。60回ほど、ライブに出演しましたが、この日初めて弾き語り最中に泣くという経験をしました。それも、少しではなく号泣。ステージで、よい子を演じず、かっこ悪いところも含む姿を表現できた記念日になりました。
過去の恋愛についての曲、セクシーさを交えた表現がある曲、前日に作ったばかりで完成度が低いかもしれないけれど、どうしても届けたかった曲。自ら「タブー視」していたものを演奏しました。曲順も決めきらず、その場で歌いたい曲を選んで歌いました。いつもよりもさらに自己開示をしようとステージに臨んだため、怖いという気持ちもありましたが、いざ終わってみれば、びっくりするほどせいせいしました。また自分の心を解放しきって、歌でお届けすることができたという達成感もありました。
「自分が本当にやりたかった理想のライブはこれだ」と確信したものの、「そもそもライブとは何なのだろう?」という疑問が頭をよぎりました。
ライブに求めるものって何だろう?
いまはインターネットで、さまざまな有益な情報を見つけられる時代です。それでも、歌だけでなく、イベントや講演を含む、「ライブ空間」へ足を運ぶ理由は何なのでしょう?
直接顔を合わせることで、その方の雰囲気や熱量を感じたいから。その場に行くことで、自分のなかで何かしらの変容が起こり、その後の行動が変わることを期待しているから、ではないでしょうか。変化の前には、きっと強く心が動くことが必要で、インターネット越しよりも強い感動を味わうために、ライブに足を運ぶのかもしれません。
ふと、「ライブ」を辞書で調べると、「ラジオ・テレビなどの録音・録画ではない放送。生演奏」そのほかに、気になる表現がありました。
『音や場所が反響すること。残響があること。また、そのさま――』
読みながら、「みんNANOライブ」では、「響く」瞬間を何度も味わっていたのかもしれないと思いました。響きはきっと、ライブがおこなわれた古き良き会場や、集う方、共演者。たくさんの力が合わさって生まれたのだろうと。
共演者が自らの言葉で歌っているとき、感情が会場中に響きわたり、自分の心と強く共鳴する感覚がありました。ステージ上で、歌を紡ぎはじめようとするものの涙が止まらなかったとき、気持ちがこめられた拍手が、大きく心に響いた気がしました。実はピアノの角度により、お客さまの顔があまり見えませんでしたが、ありがたいことにとても近くで、あたたかな想いを受け取った不思議な感覚になったのです。
このライブでは、「自分の言葉と音」によるオリジナルの表現を「いのちのかけら」として尊重し、認め合うことを大切にしています。主催者でシンガーソングライター仲間のFUKKO(藤嶋ひじり)さんをはじめとする運営者の想いが会場中に響いていたからこそ、会場からお客さまの気持ちや音が「反響」したのかもしれません。
さて、年が変わる節目ということで、今後、どのようなライブを作っていきたいのだろうと考えました。やはり勇気を出して素直に表現して「自分の心がふるえる」ことで、相手の心をノックしたい、共鳴したいのです。また、会場やお客さま、共演者とまざりあい、その瞬間だからこそ生まれるものを大切にしながら、空間を作っていきたい。
だから、ライブの時間はいつだって、魂からぶつかって臨みたい。濁りのない、そのときに感じたありのままの感情を、言葉と歌に乗せて……。