2019年8月から10月にかけて、愛知県知事を実行委員長とする国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」が開催されました。ご存じの方も多いと思いますが,この芸術祭で企画された「表現の不自由展・その後」が、一部の政治家による批判的言動や少なからぬ市民による脅迫、その他の抗議により開幕からわずか3日で中止に追い込まれました。その約2カ月後、「表現の不自由展・その後」は再開されましたが、文化庁はあいちトリエンナーレに対する補助金約7800万円を全額不交付とする決定をおこないました。この一連の騒動には、憲法で保障されている表現の自由や行政処分のあり方といった、法律上の問題が多く含まれています。そこで今回から数回にわたり、「表現の不自由展・その後」に関わる法律上の問題についてご紹介したいと思います。
なおここから数回は、少し専門的な法律学の知識にも触れることになりますが、そうした知識は一連の騒動について考える手段として重要だと思いますので、ご容赦いただけると幸いです。
「検閲」とはなにか
「表現の不自由展・その後」が中止されたことや、中止を促すような一部の政治家の発言がなされたことについて、それが「検閲」にあたるのではないかという議論が湧き起こりました。こうした議論を正確に理解するためには、憲法上保障されている「表現の自由」の意味を知ることが大切なのですが、それは次回以降に説明するとして、今号ではまず、「検閲」について考えてみたいと思います。
では条文を確認してみましょう。憲法21条1項は、「集会、結社及び言論、出版、その他一切の表現の自由は、これを保障する」と定めています。そして21条2項では、「検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない」と規定されています。すなわち、憲法において、検閲は絶対的に禁止されているのです。
ここで問題になるのは検閲の意味です。憲法には検閲の定義は書かれていませんが、最高裁判所は次のように検閲を定義しました。検閲とは、「行政権が主体となって、思想内容等の表現物を対象とし、その全部又は一部の発表の禁止を目的として、対象とされる一定の表現物につき網羅的一般的に、発表前にその内容を審査した上、不適当と認めるものの発表を禁止すること」であると。この定義だけでは理解しにくいですが、問題となる出来事があったとき、それがこの定義に該当するかどうかを丁寧に見ていくと、それが検閲に該当するか否かがわかります。
例えば、以前、教科書検定の検閲該当性が問題となったことがあります。これについては、教科書検定で不合格になったとしても出版自体が禁止されるわけではありませんので、先ほどの定義の「発表を禁止すること」に該当しません。したがって、教科書検定は検閲には該当しないことになります。
「検閲」に該当するのか?
では、今回の「表現の不自由展・その後」の中止はどうでしょうか。
これも教科書検定と同様に、作家があいちトリエンナーレでの表現の機会が奪われたとしても、別の機会に発表することまで禁止されたわけではありませんので、「発表を禁止すること」に該当しません。また、わずか3日間とはいえ中止前に発表の機会があったわけですから、「発表前にその内容を審査した」とも言えません。すなわち、今回の企画展の中止や中止を促す一部の政治家の発言は、憲法で禁止されている「検閲」に該当しないことになります。
もっとも、それらが検閲に該当しないとしても、憲法上保障されている表現の自由が制約されたという意味で、問題はないでしょうか。次回以降は、この点について検討してみたいと思います。