モザンビークでずっと慣れなかったことの一つが、よく持っている物をねだられることでした。みんながみんなではないのですが、かなりの頻度で言われました。
例えばアクセサリーをつけていれば、「それかわいいね。私にちょうだい」と大人からも子どもからもねだられます。なぜ?と聞くと、「レンブランサにするからよ」と答える人が時々いました。『レンブランサ』とはモザンビークのポルトガル語で『思い出の品』。「リエが日本に帰っても、これを見てリエを思い出すの」とのこと。あまりにも単刀直入で度々ねだられるので、わたしはいい気分はせず、たいていは適当にあしらっていました。
わたしがモザンビークを去る日、同じボランティア仲間が私宛の手紙を預かったので持ってきてくれました。それは、よく物をねだっていた友人の一人からでした。ノートをちぎって作った封筒と手紙。その中にビーズのネックレスが入っていました。手紙には「私からのレンブランサ。これで私を思い出してね・・・」という文面。
わたしはそれを見てはっとしました。モザンビークの人々にとって『レンブランサ』は大切な文化の一つではないかと。わたしはただ単にその物が欲しいから、もしくは私が豊かな国からきた外国人だからねだっていたと思っていたのです。もしかしたら中にはそういう人もいたかもしれません。しかし、少なくともわたしは自分の尺度で、『レンブランサ』を捉えていたのだということに気づいた瞬間でした。そういえば他の友人も、「これは●●からもらったものでね」と大事そうに話していたのを思い出しました。
頭では相手の文化や違いを尊重することが大切だ、とわかっているつもりでも、実際問題となると、自分の中に染み付いた価値観で物事を捉え、感情的になっていたのです。異文化理解の難しさを身をもって体験しました。
今でもそのネックレスを見ると、なんともいえない気持ちになります。