「小さい頃に、いろんなところへ行って、多くの音と多くの風景を見たことが、今の自分の糧になっていると思うんだよね。今、創作活動をするときに、すごく役立っていると思うんだよ。それに、いじめなどが問題になっているけれど、学校だけではなくて、多くのコミュニティーとの関わりをもってあらゆる経験をすることで、自分自身を見いだし何か解決の糸口を見つけることができるんじゃないだろうか。」
先日、久しぶりに会った弟が言っていたことです。弟は、ピアノの調律師をしたのち、諦められなかった音楽への道に進んでいます。決して安定した職業に就いているわけでもなく、どちらかといえば、不安定で明日どうなるのかわからないような生活です。それでも、自分の思う道をぶれずに進み続けています。それができる彼の根底にあるものは、小さな頃に自分自身の五感にふれたものの蓄積があるからだと、弟は言うのです。同じように行動をしていたはずなのに、私には、今までそういった意識はまったくありませんでした。
しかし、よく思い出してみると、私たち姉弟は、家族旅行といったものに行くことはありませんでしたが、父親の私的活動のお陰で、幼い頃にたくさんのコミュニティーに関わりをもっていました。それは、ただ学校と家の往復だけでは経験のできなかったことです。
弟は、そういった自分の幼い頃の環境をとても感謝していると言っていました。社会人になってからは、あまり会うこともなかったために、彼が何を考えながら生きているのかを知らずにいましたが、今回少し知ることができました。いつの間にか、しっかりと自分の人生を歩んでいる大人になっていることに驚き、そして、横で遊んでいる息子を見て「私も息子を、内に内に閉じこめてしまうことはしないでおこう」と、誓ったのです。