風が少しやわらかく感じる桃の節句の時期になりました。百貨店などにいくと、華やかなお雛さまがたくさん飾られており、春がもう来ていることをしらせてくれるようです。わが家は男子二人なので、華やかなお雛さまを飾ることがないのが残念なのですが、その分外に出たときにはいつもお雛さまの前をわざわざ通って見ています。
思い起こせば、わたしも初節句には母方の祖父から立派なお雛さまを用意してもらいました。そして、それを父方の祖父が毎年出してくれていたものでした。母方の祖父は早くに亡くなり、残念ながらあまり思い出がありません。祖父は島根でわたしは大分に住んでおり、距離が離れていたということもありますし、物心ついてからは病気療養をしていたために、騒ぐわたしたち(従姉妹や弟)に「うるさい!」とよく言っていたことが一番に思い出されるくらいです。「おじいちゃまは、わたしのことが嫌いなのかしら?」などと思ったこともありますが、体調の悪い中仕方のないことです。大人になると、そんな当たり前のことも、子どもの頃にはなかなか理解することができずに、祖父とはあまり話したり遊んだりした記憶もありません。
それでも残っている写真をみると、わたしを満面の笑みで抱いてお散歩をしたり、海にいったり、島根から大分にいるわたしたち家族に会いに来てくれていたり、慈しまれていた時間をみることができます。“もっと祖父との思い出を覚えていたらいいのに”と思うのですが、今となっては叶わぬことです。
また、父方の祖父は毎年二月になるとわたしのお雛さまを飾ってくれていました。わたしが初孫ということもあり、いつも盛大にお祝いをしてくれていたものです。当時は、ただ父方の祖父がお雛さまを出してお祝いをしてくれているとしか思っていませんでした。しかし、毎年わたしのために飾るということはもちろんですが、きっとそこには母方の祖父のわたしへお雛さまを贈ったときの想いをしっかりと受けとめていたからこそなのだと思います。
どちらの祖父も亡くなってしまい、今は実家の押し入れにしまい込まれているわたしのお雛さま。どんなお顔だったかも思い出せないくらい、飾らなくなって久しいです。ですが、わたしの健やかな成長を祈りお雛さまを用意してくれ、それを毎年出しお節句が終わればすぐに片付けてくれていた(お嫁にいけるように)両祖父のおかげで、今のわたしがあります。通りでみかけるお雛さまに「ありがとう」と、声をかける春です。
ハツキ的“らくなちゅらる”な生き方
常務取締役
室長/管理部長兼
【Vol.66】桃のお節句
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