私は、もう46年間地球上に生きていますが、全く知らなかったことがあります。自分が考え、悩み、そして創りだしたものを目の前のお客様に食べていただき、笑っていただくことが、これほど素晴らしいことだったとは!
考えてみれば、自らスタートしたビジネスの世界で17年間、右往左往しながらも少しでもお客様のお役に立てるならと必死だったこの時間でした。もちろん及ばないこともたくさんあり、お客様を失望させたこともたくさんあったと思います。「そのことを反省しなさい」という天の声の一方で、「ふさぎ込んでいても何もいいことはないよ、あなたができることを一生懸命やりなさい」という言葉がよぎり、ほぼ真っ暗闇の中で降ってきたのが「ジェラートを作る」というお仕えごとでした。
お菓子の世界は、それこそ技術の世界です。私にはケーキを美しくデコレーションする技術も、パンを素敵に丸める腕もありません。ましてや外食業や食品製造の経験は皆無で、この種の業界でアルバイトすらしたことがありません。
あるときはハンドルを握り、あるときはキーボードの前に、あるときは生産者さんを歩き回ってきました。ほぼ、何事もなし得なかった46年間でしたが、幸いにも私には自然食をめぐる知識と流通の経験、そして明治生まれの祖母から与えてもらった素食暮らしがありました。
子どものころ、テレビゲームやケーキをたくさん買ってもらっている同級生のなかで、貧しかった私の家には電話もなく、連絡網には並ぶ電話番号の列のなかに、「隣の○○さんから呼び出し」と書かれていました。子ども心にとても恥ずかしかったのですが、このときおいしいもの、洋食のたぐい、生クリーム一杯のお菓子を一切食べなかったことで、どんなにシンプルなものでもありがたくいただくことができるようになったのだと思います。
そして、自然食の仕事に何の因果か就くことになって、繊細さの塊のような私たちがご提供している品々を味見し、一緒に作りだしていく過程では、その育ちが幸いします。どれだけ小さな違いであってもよくわかりますので、これをどうしたらおいしくなるかということはよくわかるのです。また、本物かフェイクかを感じることもできるようになっていました。本物には魂が隠っていますが、フェイクには強い味だけがあるのです。たとえ味覚はごまかせても、ごまかしきれない何かが残ります。
誰かが一生懸命作ってくれたもの
中学1年生のころ大腸ガンの末期で臥している祖母に、祖母がよく私のために作ってくれていたふっくらした黒豆煮や、大根をおあげさんと炊いたものを作って出しました。はっきりいって黒豆は紫になり堅く、大根は醤油が強いだけの、決しておいしくない代物でした。あのとき、横たわる祖母は私のほうをみて「おいしいよ、おいしいよ」と涙を流しながら繰り返し言ってくれたことを鮮明に思い出します。あんなにまずいものを、おいしいと言うなんて。ましてや、大腸ガンの末期。腸閉塞が進行するなかで、食べること自体が危険なのですから。
でも、私にはいまはっきりわかります。誰かが一生懸命自分のために作ってくれたものは、例えそれがなんであってもおいしいのです、誰がなんといおうと、おいしいよ、おいしいよ、なのです。
自然食の世界に入ったのは娘のアトピー性皮膚炎がきっかけでした。この世界でいわれていることは何も間違っておらず、正論ばかりです。正しいことは間違いないとしても、たとえば誰かが、久しぶりに来てくれたからと、心をこめて一生懸命作ってくれた食事を勧められたとします。そこには白砂糖や牛乳、もしくは化学調味料が入っていたとしましょう。子どもに良くないから、「こんなもの食べさせないで!」という親がいたらどうでしょう。もしくは、もっと心が痛むのは、子どもを他に聞こえない場所に連れていって「このお菓子は毒ばかりだから、食べるのはやめなさい」と吹聴したとしたらどうでしょうか。
もし、正しさに立脚するとすれば、この親の行動は正しいのです。しかし、私はそれ以上に大切なことがあると信じます。誰かが、誰かを思って、無心に、一生懸命に作ってくれた、もしくはしてくれたことは、すべて美しく、かがやいています。たとえそれは正しくないとしても、正しいこと以上に大切なことがあるのではないでしょうか。
私たちは一人で生きることができません。私のジェラートを笑顔で召し上がっていただく、もしくは「これがちょっとこうだったら、もっといいのに」と言っていただく。どちらにしても、私にとっては幸いそのものであり、かけがえのないことです。
私は、数ヶ月前まで、ジェラートを織り出す、そして創るということについて、これほど情熱が溢れ出すとは想像もしませんでした。やればやるほどはまり込み、商売として成立するかどうかのまえに、どうかこの心を受け取っていただきたいと祈るようになりました。
きっと、これは私がなし得なかった「祖母に、私が作る一番おいしいものを食べてもらう」ということが叶わなかった反動なのでしょう。もう祖母はそこにいませんが、私にはここに来てくださるお客様がいます。
まさか、こんなことになるなんて、全く想像もしませんでした。でも、これはすでにあのときから決まっていたことなのでしょう。あなたが笑顔でありますように。私の天命が果たされますように。願わくば、ここが世界でいちばん、誰もが子どものような笑顔になれる場所でありますように。