自主性を育てる期間
半年前からを振り返って、なにか変わったことはありますか?
当初の予定では、東京五輪が7月下旬に開幕していたことでしょう。開催の一年延期が決まり、モチベーション維持が困難と引退した選手がいる一方で、もっと強くなるための準備期間と解釈して励みにしている選手もいます。選択は真逆でも、自分で考えて決めたという点では同じでしょう。
オリンピック代表選手のような大きな決断ではなくとも、私たちの誰もがなんらかのかたちで自分で考えることを求められました。自主性を育てるための期間だったともいえます。
環境の差がなくなる
活動自粛期間中に、ほぼ毎週来院していた高校生アスリートがいます。チーム練習がいつ再開してもいいようにコンディショニングの維持に努めていました。人の少ない早朝に近所の公園でトレーニングし、痛みまでいかないわずかな身体の違和感でも相談に来ては、自分の動きのちょっとしたクセに気づき、フォームを修正していきました。試合が続くスケジュールでは難しかったことに、自粛期間中だからこそ取り組めたのでしょう。常に最善の準備を怠らないことを習慣化したことが、今後の最大の強みとなるでしょう。
高校生レベルであれば、学校やクラブなどで練習環境が大きく異なるのが現実です。設備が整った恵まれた環境にいれば、理想的なトレーニングを積めます。そうした場に身を置けるかどうかが、結果に影響することもあるでしょう。ところが活動自粛によってチーム練習ができなくなったことで、その差はなくなり、すべての選手がフラットで横並びになったのです。
スポーツ選手に限ったことではありません。すべての人に当てはまります。自粛期間は、自主性を育てる期間でした。その期間中に考えたこと、取り組んだこと、行動したこと、その差はこの先、必ず表れてくるでしょう。
テレビを消せば……
仏教に「自灯明・法灯明」という言葉があります。ブッダが遺言として弟子たちに残したとされます。「自灯明」とは、自分自身を頼りにして生きること、「法灯明」とは、(仏教の)教えをよりどころにして生きること。自灯明ありきの法灯明、自分で考えるのが先にあるのが深いところです。自分以外の誰かの灯火を頼りに進むと、その誰かがいなくなり明かりが消えたときには暗闇をさまようことになるのだから、本当に自分を支えることができるのは自分のみという意味になります。
少し前から「マスク警察」などと、マスクを着けない人が怒鳴られる事態が出てきたようです。決して本物の警察官が取り締まっているわけではなく、自称に過ぎません。人と違うことをする人を非難したいのでしょう。
事実を述べれば、ウイルスにマスクは効果ありません。半年前まではそう思っていた人が多いのではないでしょうか。その事実は変わってはいません。感染が拡大するにつれて、予防の観点からマスク着用が推奨されただけ。マスクがウイルスに有効な根拠も示されないまま、今日に至っています。
夏場であれば、熱中症が心配です。新型コロナウイルスに感染してもすぐに生命に関わることはほとんどありません。熱中症は即、生命に関わります。むしろ、そろそろマスクは外していった方がよい。けれど、マスクを外すよう強要するのもまた違うでしょう。今が夏と考えれば、マスクはしなくてよい。心配な人は、すればよい。着けるも外すも、人に強要するものでも、強要されるものでもありません。
どこで聞いたか、「テレビを消せば、コロナも消える」。いまの状況を的確に表現していると思います。メディアからの情報を断ち切って、自分で考えたいものですね。