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特集

インタビュー取材しました。

そのまんまで輝ける、多様な人が集う場づくり
A‌t-K‌y‌o‌t‌o代表 武田みどり氏インタビュー

投稿日:

みんなそれぞれ、事情を抱えて生きているから、苦しいときは身近な人と助け合える社会に。ダウン症の息子を通して出会った仲間たちとともに、誰もが安心して生き生きと暮らせるまちづくりに取り組んでいる武田氏。福祉とアートの融合によって、底抜けに明るくて、最高に自由な場を提供しています。そんな活動への思いを伺いました。

At-Kyoro代表
武田 みどり (たけだ みどり)

高2、中2、小6、小4の子を持つお母さん。2010年、ダウン症のある次男を授かったのをきっかけに、障がいのあるなしに関わらず、それぞれの事情を抱える人同士が出会い、つながりあう場づくりを始める。違いをハンディとしない、誰もが生き生きと暮らせる社会の実現をめざした任意団体「At-Kyoto」代表。2014年から京都にてアメリカ発のダウン症啓発イベント「バディウォーク@京都」を主催。京都市上京区を拠点に子育て世帯のサポート活動にも取り組んでいる。https://at-kyoto.net/

前を向いて、
歩いていきたい

——4人のお子さんがいらっしゃいますが、武田さんの子育てはどのように始まったのでしょうか。
思いがけず第一子を妊娠して、どんな子育てをしたいかなんて考える間もなくスタートしました。近所に両親や兄がいて頼れるし、ママ友づきあいが苦手で、子育て支援の場に行ったこともなかった。今でこそお母さんたちの場づくりなどをしていますが、当時の私は、自分以外のお母さんたち一人ひとりに目を向けることはなかったし、ましてやそれぞれが抱えているものに思いを巡らせたこともありませんでした。

それが、二人目を妊娠したときに流産を経験して、変わりました。妊娠・出産は予期せぬことと隣り合わせ。それまで産婦人科は幸せの象徴だと思っていたけど、そこにいる人たちのなかには嬉しい人もいれば、つらい思いでいる人もいることを知りました。無事に二人目が誕生したときは、本当に命が愛おしくて。その後も度々流産を経験し、ようやく三人目を授かりました。

——三人目である、いっしん君が誕生したときのことを聞かせてください。
当時、私が持っていたイメージは、元気に生まれてくるか、またダメかもしれない、というどちらかだけでした。息子は、一ヶ月早かったけど元気に生まれてきてくれた。保育器に入っていたけど、退院すれば何事もなく成長していくものだと思っていました。だから、退院前に医師から「この子は染色体異常の疑いがあります」と言われたときは「え? ちょっと待って」と。染色体異常でよく知られているのはダウン症です。すぐに夫にも来てもらって、一緒に話を聞いたのですが、そのときの記憶は曖昧です。頭では元気に生まれたのだから十分だとわかっているけど、普通の子と違うところがあると言われたら、それは困る。あらゆるネガティブなイメージとともに、漠然とした絶望感に包まれました。

でも、考えたんです。この現実は変わらない。未来を絶望と決めつけ、後ろを向いて歩む人生か、これはなにか面白いことが始まるぞと思って前を向いて歩む人生か。どちらを生きたいかといったら、絶対にハッピーなほうだし、家族も同じはずです。まず、ダウン症のある子育てを前向きに捉えている家族の暮らしを知りたいと思い調べたら、すぐにそんなお母さんたちのブログが見つかった。私もこうなれると思えたから、わりと元気に退院したんです。私が落ち込むわけにはいかないし、そういう生き方しか残っていないという感じでした。

——それまでの子育てと、なにが変わりましたか。
息子は大きな合併症などもなく、案外、普通の子と変わらない暮らしが待っていました。ただ、染色体に違いがあるのは明らかな事実。この先どう成長していくのか不安があり、とにかく生きた情報が必要だと感じました。幸い、ブログを通じて知り合った先輩ママを通じて、ダウン症のある子を育てる家族のコミュニティにつながることができました。そこで、不安も、喜びも、どんな思いも共有できる場があること、必要な情報を得られること、そしてお互いに「まあ大丈夫よね」と言い合える関係を持つことの大切さを、身をもって実感しました。そのときの体験が、子育てで困ったときにすぐに人や情報とつながれる環境づくりという、今の活動につながっています。

誰もが自由でいられる
「超楽ちん」な場づくり

——イベント開催などの活動を始めたきっかけはなんだったのですか。
最初は、私も知らなかったダウン症のことをもっと知らせたいと思い、地域のイベントのブースで小さな写真展をしました。その後、あるイベントで、パーカッショニストのスズキキヨシさんと出会ったんです。N‌P‌O法人スウィングの方たちもいて、その様子に、これまで抱いていた福祉や障がいと呼ばれているものに対するイメージが一変しました。これなら、希望が持てると感じたのです。そのとき私は数ヶ月後に、ドキュメンタリー映画の自主上映会を企画していたのですが、そこで一緒になにかできないかと、その場でキヨシさんに依頼しました。初対面なのになんでいきなりそんなことを言ったのかわからないけど、とにかく、面白くて、かっこよくて、楽しいことができそうな予感がしていました。それが、2012年に開催した「うまれて・おどって・あ~そんで!」です。やろうと決めたら、周りの人たちがみんな力を貸してくれて、私はなにもしていないのに立派なイベントができてしまった。それは今も変わらず、私の活動は人との出会いでできている、本当にそう思います。

——どんな反響がありましたか。
ここに来れば普段出会わない人と直接話ができるし、なにもしなくても、ただ自然体でいられる。こんな場があってよかったって。音楽やダンスって、ボーダーレスの極みというか、みんなを緩ませて人と人を近づける力がありますよね。私は、年一回でも、ダウン症というキーワードで楽しく盛り上がれる場を作りたい。多様な人との出会いを生む、ハッピーな場を作り続けていきたいと思っています。

——バディウォーク®はどんなイベントですか。
1995年にアメリカで、ダウン症啓発の一環で始まったチャリティウォークイベントです。2012年に日本で初めて東京の代々木公園で開催され、2013年に私も家族で参加しました。そのときの経験をスズキ氏に話しして、京都でもできないかと一緒に考えました。自分たちで作るとしたらどんな形がよいだろうか、どんな形でできるか模索していったのです。そして2014年に、第1回目のバディウォーク@京都を、鴨川デルタから下鴨神社糺の森まで、もともと予定されていたほかのイベントと組み合わせる形で開催しました。

京都では、地元のダンサーやミュージシャンなどのアーティストを中心に、多様な仲間とコラボレーションしていることが特徴です。普段、ダウン症や障がいと呼ばれるものとの接点がない人たちと、たまたまその場に集まる人たちとの間に生まれる化学反応によって、変化と進化を続けています。会場では、みんな本当に勝手に過ごすんですよ。いつ来てもいいし、誰が居てもいい。私たちも制限が多いと窮屈な場になってしまいますから、なにかしなくちゃいけないということはなにもないんです。A‌t‌-K‌y‌o‌t‌oのイベントには、進行プログラムはあっても台本はありません。ライブだから、なにが起こるかわからない。でも、だから面白い。それをいかに楽しむかなんです。それは、人生も同じだと思うんですよね。生きていることがライブそのもの。

——今この瞬間を生きる、楽しむを大切にしている場になっているんですね。
ダウン症のある息子と一緒にいると、どれだけ私たちが自分で決めた枠のなかで生きようとしているか、気づかされるんです。日々の些細なゴタゴタや葛藤など、たいていのことは馬鹿ばかしくなってしまうぐらい、そのまんま生きています。でもそれが眩しいんですよね。バディウォーク@京都に来てくれた方たちにも、生きるってこれでいいんじゃない、それぞれが生きたいように生きるだけだよって、ふと感じていただける瞬間があればと思います。できるだけのんびり、自分らしく過ごして、ああ良かったって帰ってもらえるのがいい。ふわっと、ゆるく、楽ちんに。そんな人が増えると、世の中がもう少し肩の力を抜いて過ごせるようになるんじゃないかなと思います。

※NPO法人スウィング 「生き方はひとつじゃない」がモットーの京都の市民団体。ユーモアたっぷりに世の中の「べき」「ねば」に疑問を投げかけながら、アートや環境など多様な活動をしている。

人生で大事なことは
わが子が教えてくれる

——現在、お住まいの地域で子育て支援や民生委員の活動をされているのは、どんな思いからですか。
私が活動を始めて約10年。振り返ってみると、私がやってきたことは、どれだけ自分が安心して生きられるかの地固めだったと思うんです。息子が生まれて、最初の数年間は怒ってばかりでした。行政や医療機関、教育機関などで、欲しい情報がもらえないとか、理解してもらえないとか。まるで自分一人で外の世界と戦っているようで苦しかった。彼の成長に伴って、私たちの理解者が増えていくと、力が抜けていきました。社会の仕組みが見えてくるにつれ、怒る代わりに自分に今できることをしようと思い、同じような経験をしている方たちへの情報提供を始めました。活動を続けるなかで2020年に地域の主任児童委員になり、行政の方と近づくことで、身近な地域に対してもっとできることが増えるかもしれないと希望が生まれました。理解の得られる人たちだけで集まるのは案外楽だけど、やっぱり一番大事なのは、身近なご近所さんと理解し合えること。まず私自身がしっかり地域に根を張り、誰かの支えになることが大切だと考えています。

——お互いを理解しあうのは難しそうですね。
当初は、ダウン症の子どもを授かって間もないご家族とつながるネットワーク体制がなかったので、行政と連携して作りたいと考えていました。ところがコロナが流行して、行政や施設での出会いの場に制限がかかり、親同士が気軽に会えなくなってしまった。その状況に危機感を抱き、サポートの対象を子育て世帯全体に切り替えて、まず受け皿となる居場所を作ることに。そこで、昨年から町の一角で主任児童委員の仲間と一緒に、定期的に「ベビー&キッズ服の交換会」を開催しています。交換会なら外でもできるし、長居しないから密にもならない。地域のお母さんたちと会えるようになって、リアルなお母さんたちの実情が見えてきました。この場があることで、困っている人たちに、私たちが必要な情報を提供できるし、行政につなぐこともできるようになりました。おせっかいは必要ないけど、一人で戦っているお母さんが、困ったときにあそこに行けば大丈夫だと感じてほしい。来てもいいし、来なくてもいいし、途中から来ても、すぐに帰ってもいい。バディウォーク@京都と同じで、ゆるりとした空気でやっています。

みんな、表向きはわからなくても、いろんな事情を抱えて生きていますよね。守るべき個人情報はあるけど、それ以上に守らないといけないものがあるなら、みんなで情報共有して地域で助け合えたらいい。これからもその都度、今これが必要ということを、ほど良い距離感で差し出すことができたらと思っています。

私、ここに来るまで本当にたくさん失敗してますし、今だって失敗ややり直しばかりの日々です。自分の意見を押しつけてしまったり、勘違いもたくさんして人を傷つけてしまったり。子どもたちにも日ごろから、そんな「かあちゃんの失敗談」を聞かせてますけど(笑) そんな私でも見捨てずに支えてくれた人たちがいたから、今がある。この先の10年は、少しでも周囲にお返ししたいと思っています。

——いっしん君は、武田さんにとってどんな存在ですか。
いっしんが私のところに来たことで、私にはたくさんのサポーターが増えました。子育てなんて一人でできるわと思っていた人間に、やっぱり無理だと気づかせてくれて、人の助けを借りること、意見を聞くことを学ばせてくれた。彼がいることで、こうあらねばならないということが、全部崩壊したんです。人間、なにができるかということは、幸せであるかどうかにまったく直結しない。すごく幸せそうに生きている彼を見ているとそう思います。この子がいつも私の先に立って、「こう歩いていったらいいんやで」と私を引っ張ってくれている。生まれたときからそう感じています。兄弟たちもそれぞれに、私にとって人生で大事なことは子どもたちが教えてくれています。

2020年の「バディウォーク®」開催の様子
地域で開催している「ベビー&キッズ用品交換会」

- 特集 - 2022年5月発刊vol.176

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