古くから健康をサポートするとして、豊富に含まれるアミノ酸やミネラルだけでなく、オルニチンなどの栄養素がいま注目されている「しじみ」。しじみのエキスにいのちを救われ、自身でも「さとしのしじみエキス」を製造販売する鎌田哲氏と鎌田麗子氏にお話を伺いました。
90歳になっても元気でいられるのは、玄米食としじみエキスのおかげと語る鎌田麗子氏(右)と生後3ヶ月からしじみエキスを摂り続けて、「しじみは筋肉疲労にいいので、いろんな人に試してもらいたい」と語る鎌田哲氏(左)
鎌田麗子氏(以下 麗子氏) 私はリウマチを患い体が弱く、息子の哲は妊娠8ヶ月で生まれてきました。未熟児だったけど無事に病院を退院しました。母乳が出なかったので人工栄養を与えていたのですが、しばらくすると肌が黄色くなってきたので、これはおかしいと思い、病院へ行ったら肝炎と診断されました。薬を飲ませても一向に良くならないので、飲ませても効かない薬を飲ませ続けるのは、未熟児の負担になると思いやめました。
私は玄米食や自然食をしていたので、他になにか方法がないかと探していたら、たまたま貰ったしじみエキスがあることを思い出しました。しじみの汁しか使っていないというので、赤ん坊でも汁だけなら毒にはならないだろうと思い、ミルクを飲ませるたびに割り箸の先にしじみエキスをつけて口のなかに入れました。それを一週間続けていると、顔が綺麗になってきたのです。こんなに早く効くなんておかしいと思い、私に玄米食を教えてくださった東京の医師・馬淵通夫先生に診察してもらったら、「肝機能が良くなっている」といわれたので、事情を説明しました。すると、そのしじみエキスを送ってほしいといわれたのです。そして、メーカーに説明しているうちに、私に販売してほしいという話になりました。そのころ、私は貧乏で高価なしじみエキスを子どもに毎日飲ませることがもったいないと思っていました。しかし、馬淵先生に相談すると「少しは収入になるから」と勧めてくれたので販売することしました。おかげで子どもに遠慮なくしじみエキスを飲ませることができるようになりました。
商売をしたことはなかったのですが、馬淵先生からのご紹介先や営業先の自然食品店の方からさらに紹介を受けて全国を周っていくうちに少しずつ売れるようになってきました。そして、主婦の友社の副編集長と仲が良かったこともあり、本を出すことになったり、テレビで紹介されたりして、しじみエキスが知られるようになりました。一種のブームのようになったのです。
しかし、メーカーの都合で商品が販売できなくなりました。もう辞めようと思ったとき、女手一つでがんばっているからと、地元の長良川でしじみ漁をしている三重魚連の漁師たちがしじみを炊いてくれることになったのが、『鎌田のしじみエキス』の始まりです。最初は息子の命を助けるために始めたことでしたが、すでにしじみエキスのファンが全国にいたので、辞めるわけにはいかないという周りの状況におされて、再び商売することになったのです。
鎌田哲氏(以下 哲氏) 私は東京で料理人として働いていたのですが、名古屋に戻って家業に入ったのは24歳のとき。約30年前に長良川に河口堰ができたことで川底にヘドロが溜まってしまい、しじみの漁獲量が8分の1程度まで落ちていました。さらに追い討ちをかけるように、しじみの貝殻や身を捨てていた場所が高速道路の建設予定地になったため、捨てる場所がなくなりました。それで捨てる部位を活用できないかと、殻を焼いて粉にして水質改良剤を作ったり、しじみの汁に殻を入れて商品化できないかと研究したのですが、どれも生産コストが合いませんでした。そうしているうちに蓄えがなくなってしまったのです。
麗子氏 もうしじみエキスを作るのは辞めようと思っていたときに、たまたま夫と二人で青森へ旅行に行きました。そこでしじみエキスと書かれた大きな看板を見つけたのです。気になって一個買って帰りました。それはカプセルだったのですが、カプセルを開けてなかの粉を食べてみると、混ぜ物なしのしじみエキスでした。粉末化の研究もしていたので、どうやって作ったんだろうと思ってメーカーに電話をかけました。すると、すぐに社長がでてきて「鎌田さんですね」と言われて、私は大変驚きました。本を出版したり、雑誌の取材を受けたりしていたので、その社長は私のことを知っていたのです。そして、すぐに会うことになり、私がもう作るのを辞めようと思っていると伝えると、「じしみはあるから、俺が助けるからやれ」と言ってくれました。あとでわかったのですが、その会社は全国で一、二を争うしじみの問屋で、しじみの加工食品などを作っており、しじみエキスを作る設備がすでに整っていました。
哲氏 商品名は『さとしのしじみエキス』に変わりましたが、それから二十数年、毎年しじみを炊きに青森に行っています。いまは製造工程の多くを数値化(量や時間など)しているので、品質や味は格段に良くなりました。しかし、最終的な仕上げは機械ではできません。年によって水揚げされたしじみの味も違うし、一番の違いは煮出したときの汁の量が違う。最後の煮詰める工程で火を止めるタイミングを間違うと、できあがりの量が減ったり、量を増やそうと早く火を止めると、防腐剤を入れていないのでカビが生えてしまう。いろんな理由があって、火を止めるタイミングは長年の経験によるカンが必要で、私がやらないとダメなんです。
国産の大和しじみにこだわっているのは、自分のいのちが救われたこともありますが、産地が変わって、栄養素が変わると飲んだ方の結果が変わる可能性があるので、国産の大和しじみのみを使っています。私たちの商品を買う人たちには、健康な人はいません。どこか具合が悪い人や肝臓の数値が気になって、肝臓に良いと聞いて買いにきた人などです。
全国的にしじみの漁獲量が年々減っているのを止めようと、しじみ漁師たちが漁獲量を制限したり、稚貝を撒いたりして努力をしていますが、いつまで同じように獲れるかわかりません。それでもできる限り作り続けて一人でも多くの人に元気になってもらいたい。もう一度、しじみエキスを日本全国に広めていきたいです。