私たちが本誌の特集やインタビューなどを編集するにあたり、とても大切にしている価値観があります。それは、有名人や著名人にフォーカスを当てるのではなく、一見どこにでもいそうな人のなかに、ひかりかがやくなにかを見つけようという姿勢です。例えば、直近3号のインタビュー記事は新入社員についてであり、発行部数が重要な商業誌なら絶対にありえないことでしょう。最近の社会的なトピックでいえば、ある人がお亡くなりになったら国家でその費用を負担して葬儀をおこなおうとか、著名人のどなたが自死を選んだとか、誰が誰とくっついた、または別れたとか、私たちは社会的影響力があると共同で認識している人の一挙一動に知らぬうちに影響されています。テレビだけ見ている人はテレビのコメンテーターの発言を、いっぽうでメディアを非難するグループからは、主にYouTubeやネットニュースをネタにしたSNSの投稿が溢れ、どちらにしても私たちが外から影響を受けてしまうスタイルは変わりません。いずれも恐怖か快楽を軸にして感情を揺さぶる構造まで同じです。コロナ騒ぎの初期では、志村けんさんがお亡くなりになったことで社会のムードが一変、その後の急激な自粛という名の同調圧力とそれに伴う長期の混乱はいうまでもありませんし、最近では銃撃事件を機に国民の主権よりも国家の治安維持という意識の急激な変化が起きています。戦争はつねに権力と権力のぶつかりあいで、そこに生きる人たち一人ひとりの人生の重さから焦点がずれ、国家の大義だけが一人歩きしたときに激化することを忘れてはなりません。誰もが口にする「命と人生の重さはどんな人でも変わらない」という事実を、本誌を通じて具体化しないかぎり、また「この道はいつか来た道」を歩むことに加担することになりかねないからです。
恐怖を煽る健康情報
このような心の振幅を大きくさせようとする構造をしっかり見ていくと、健康をめぐる情報にも注意が必要です。テレビでは、ワクチンを打たないことによってもたらされる不幸や反社会性が長くアピールされてきました。これに対して、インターネットのなかではこれとは真逆のことが拡散されています。「私たちだけが知っている、特別な情報筋からのほんとうの情報」という類いの触れ込みも、恐怖の代わりに優越感とそれに伴う多幸感を煽るやり方そのものです。どちらにしても、根拠は乏しく、むしろ感情に訴えかけようとする内容にすぎません。ワクチンの話だけではなく、いわゆる自然食の世界でもあれを食べたら早死にする、これを使ったら心が病むという話はいくらでもありますが、私はこういう話の仕方を好みません。売上だけを考えるのならできるだけ恐怖や優越感を煽って買っていただくのが正しい道なのですが、お客様の冷静さや考える力をも削ぐような情報の流し方は、長い目でみたときに持続可能とはいえませんし、そのような情報を流している人が理想的な健康を手にしているとも限らないからです。むしろ、人は病のなかから学ぶこともたくさんあり、自分がこうなったのはあれのせいだ、これのせいだと原因を外だけに求めていては、大切な気づきを得ることはますます難しくなります。ここまでご説明してきたように、私たちが本誌の発行を続けている最大の理由はこの2つ、あえて普通の人の、唯一無二の人生に強いフォーカスを当てること、そして恐怖や優越感ではなく、あくまで共感に基づいて私たちの考え方や、関係する販売品を知っていただくことを目的として発行を続けています。本誌や弊社のウェブサイトには極端な刺激はありません。むしろ、読者の皆さまには、これらの中毒性のある情報から距離をおいていただき、心の振幅を小さくしていただいて、腹に力を込めてバランスをもって世界を俯瞰していただけるようになっていただきたいと願っています。
肩書きマジック
情報リテラシーという観点から、もう一つだけ気をつけた方がよいことに言及します。誰がいったのかは存じ上げませんが、「科学は嘘をつかないが、嘘をつく人は科学を使う」という、実にわかりやすい一文があります。「人生は嘘をつかないが、嘘をつく人は肩書きを使う」とでも言い換えましょうか。テレビもネットも、エキセントリックな感情を揺さぶる情報は肩書きと、科学的とかエビデンスといった用語がちりばめられています。特に、立派な肩書きほど注意が必要です。立派な肩書きを出さなければならない事情があるんだろうと裏読みしてしまうのは私の悪い癖なのかもしれませんが、○○専門家だ、大使だ、総理大臣だ、大統領だといったところで、影響力の多寡は推察できても、その言葉の真実性を示すものではありません。私は、京都の中川さん、くらいで呼ばれるのが一番好きです。それだけでは事業の必要上、なにをしている人かすらわからないくらい無名なので、今は多少の肩書きは使いますが、いつかそうやって、いろいろフェードアウトして普通の人のまま、赤ちゃんに戻って死んでいきたいものです。