地元の駅の前に、一本の桜が静かに立っていた。私は、その桜の木が無性に好きだった。わざわざ訪ねてくる人がいるほど立派なわけではなかったが、その桜は、自身の命を紡ぎつつ、わたしの生きてきた道のりを、そっと見守ってくれているような気がしていた。ところが、数年前の台風で倒木し、ある日、駐車場になっていた。木が成長するには数十年、数百年を要する。縄文杉などは数千年の年月が必要だ。再び木を植えるよりも、人間にとって利用価値があるものに、置き換えられてしまうものなのだろう。大切だと思える一本の木に出会えただけで、しあわせなことなのかもしれない。
くすりとしての桜
「桜皮」は桜の樹皮の生薬名だが、くすりとしては山桜の樹皮が使われている。江戸時代には、魚による中毒、蕁麻疹、腫れものなどの皮膚疾患や、解熱、咳止めなどに使われていた。桜餅の香りは、葉の香り成分によるもの。樹皮を煮出すと薄桃色で、ほんのり桜餅の香りがする。江戸時代の外科医・華岡青洲は、桜皮を解毒排膿に用いていた。化膿傾向のある皮膚の湿疹やニキビに使用される、十味敗毒湯というくすりにも桜皮が配合されている。
京都の桜守、第16代・佐野藤右衛門の著書『桜守三代』によれば、阪神淡路大震災と、東日本大震災が発生する一年前に共通して、実生(山桜のように種から育つ木)の桜の色がいつもより異様に赤かったそうだ。地震の前兆で、昆虫や魚、動物の変化があるのは想像していたが、遠く離れた桜の花の色味にも変化があったことは、とても興味深い。植物たちは大切なことを、地味ながらも力強く教えている。ていねいに自然を観察することで、私たちはそれを知ることができるのだろう。公式サイトによれば、佐野藤右衛門さんは「もとは染井吉野も天然交配して生まれた一種の突然変異で一本しかなかったものですが、たまたま、成長が早い、花がいっぱいつく、接ぎ木がしやすい、というので人気が出て、今や、日本中、桜といえば染井吉野と思うてる人も多い。けど、この桜は人工的に増やしたもので種がない。(中略)それを人間の都合で、あちこちに植えただけです。そやから九州の桜も、東北の桜も、染井吉野はおんなじ顔してるんです。種がないから、花に蜜が出ない。蜜を欲しがる虫も、実を食べる鳥も来ない。すると本来、桜と一緒に暮らしてるはずの虫や鳥、自然に共同生活するものも減ってくる。(中略)日本古来の山桜というのは、もともと自分が育ちやすいところに根をおろしてるから放っておいても育つ。けど植樹した染井吉野は人間が関わらんと生きていけん。もうちょっと説明すると、接ぎ木や挿し木でしか増えん染井吉野には『幹』がない。太い木に見えても、あれみんな『枝』で、年輪もないんですわ。桜は枝枯れをしながら成長するもんやから、枝しかない染井吉野は寿命が短い。自力で跡継ぎも残せん。そういう桜で並木を作り、名所を作ってるのが今の日本です。それでも人の都合で植えたのなら、人が最後まで面倒見てやらんといかんのです。ええとこ取りで、綺麗な時だけチヤホヤするのでは、可愛そうや」と語っている。染井吉野が幹でなく枝であることにびっくりしたのと同時に、日本の桜の寿命が一気にやってくるであろうことと、その理由を知ることができた。
一本の桜の背景を知ろうとしたことで、それが誕生した経緯、それがもたらすであろう生態系への影響、その先にある多くの桜の木の老いた後の自然環境の変化まで知ることができた。自然が人間に対して、絶望だけでなく希望を持ってくれるように、少しでも本質を学ぶ気持ちを忘れないでいたい。わたしたちは、もう少し目の前のあたりまえにある自然に、興味を持ってもいいのかもしれない。あの桜のおかげで、心の底からそう感じた。