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特集

インタビュー取材しました。

お客さまと農家の想いを橋渡しできるジェラート屋に
株式会社Mai GELA to STYLE AmiCono JIYUGAOKA 代表 井上 舞子 氏

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人気のジェラート店「AmiCono(アミコーノ)」の店主でジェラート職人の井上舞子さん。イタリアのジェラートコンテストに、弊社代表・中川信男と同じときに出場していて繋がりができました。プレマルシェ・ジェラテリア中目黒駅前店のスタッフもよく通っている大好きなお店です。女性一人でジェラート店をオープンし、しかも、おいしくて人気がある。そのきっかけや、井上さんのこれまでの道のりについて伺いました。

2023年にイタリアのリミニ市で開催されたジェラートコンテストで。左から新潟三条市のGelateria COCO佐久間康之氏と今回お話を伺ったAmiCono井上舞子氏、ジェラート製造機器メーカーカルピジャーニ社のグイド氏、弊社代表中川。

株式会社 Mai GELA to STYLE AmiCono JIYUGAOKA 代表
井上 舞子(いのうえ まいこ)

1984年生まれ。ジェラート職人、「AmiCono」店主。大学卒業後、在学中よりアルバイトをしていた外食産業大手グローバルタイニングへ就職。その後、語学習得のためのワーキングホリデー、ジェラート留学を経て、帰国後、(株)チャヤマクロビに転職。2017年に独立し、ジェラテリア「AmiCono」を自由が丘にオープン。ランボルギーニ社やマセラッティ社とのコラボ出店等イベント出店多数のほか、カクテルジェラート講座の講師も務める。また2020年に「SIGAイタリアジェラート国際コンテスト」に出場するなど、精力的に活動している。趣味はサーフィン。https://amicono.official.ec/

ジェラートを学びに
本場イタリアへ留学

——飲食業界に入ったきっかけから教えていただけますか?

大学2年から飲食産業の会社でバイトを始めました。多様なコンセプトの店が数十店舗あり、私がいたのは恵比寿にある400席の大きなレストラン。配属になった貸切の部署は、上司と私、担当シェフの3人。当時は貸切の需要が多く、200人規模の企業パーティーもあり、幹事やスタッフ、お客さまの間に入って取り仕切らないといけないのがプレッシャーでした。売上は一晩で200万円ほどあるので責任重大ですが、その分やりがいも大きかったです。ウェディングなどは、3ヶ月から半年くらいかけて準備するので、幹事や新郎新婦との関係も密になり、終わった後の「ありがとう」が、飲食店での「おいしかったよ。ありがとう」とは全然違うんです。100人以上のスタッフがみんなで一つの目標を目指すので、コミュニケーションが体育会系で熱いんですよね。大学では畜産やバイオテクノロジー、環境保全を学んでいたので、製薬会社などに内定していたんです。でも、この仕事がすごく楽しくて、親の反対を押し切って、そのまま就職しました。

——接客の楽しさはありそうですが、とてもハードな仕事ですね。

朝11時から翌朝5時まで働いたり、1日にパーティを5本こなす日もありました。会社の「このお客さんには100点のサービス、このお客さんには50点のサービスっていうのはプロじゃない。全員同じ80点のサービスをするのがプロ」という考え方が好きでした。でも、当時の私は英語に強いコンプレックスがありました。気心が知れたお客さんには120点、140点までがんばるのに、外国人のお客さんには30点になってしまう。英語の壁を克服しなければ、平均80点のサービスは一生無理だと思って。英語で話せたら、もっと違った結末があったはずのハワイのお客さまの顔は、いまだに覚えています。悔しかったですね。4年半ほど働いて、尊敬する先輩が出した売上数字を抜いて、私がトップになってカンパニーレコードになったのきっかけに退職しました。
その後、その会社から独立した人が経営する会社の中華料理店でアシスタントマネージャーを始めました。毎晩終電を逃して、店長に飲みに連れ出されていろいろ話しました。海外で英語を勉強したいという話もして。そして、子会社で店長をやらないかと誘われるようになったのですが、「英語ができないから」と断わると「それで一生行くのか」と。その店長に強引に背中を押されるような形で、一年間、ワーキングホリデーでオーストラリアに行くことを決めました。

——勇気のいる決断だと思います。一年で英語を習得できたのですか?

スーパーストイックにしました。海外に行くとみんな母国の人同士で集まるものなんです。私は3人だけ日本人の女の子の友達を作って、それ以外の日本人には近寄らなかった。英語が話せるようになってくると、アメリカ、スペイン、フランスなど、いろいろな国の友達ができて、それぞれ考え方も物事の捉え方も全然違うんです。英語を話せることよりも、英語をツールとしてコミュニケーションを取ったときに、「そんな考え方があるんだ」というのを知ることが、すごく楽しかったです。おかげで完璧主義がなくなっていった。その一年間は、今までの人生のどの一年間よりも貴重です。みんなが英語を喋っているなかで自分だけ英語がわからないと、どんどんネガティブになるんです。そんななかで、外国人の男友達もできて、オーストラリアを2ヶ月間、4人で車で旅しました。喧嘩もたくさんしたし、全員で泣いた日もある。あの体験がなかったら、今の私はないと思います。

ジェラートを学びに
本場イタリアへ留学

——戻ってからはどうされましたか?

ウェディングの仕事を始めたのですが、2011年の震災で結婚式がなくなってしまいました。最初の会社に就職するとき「いつか自分の店を持ちたい」と親に約束して飲食業界に進ませてもらったので、飲食業界に戻ってイタリアンレストランの店長をしました。店長の休みは週に一日だけ。他の日は朝10時に出勤して、閉店後、片づけて午前2時や3時に帰ってシャワーだけ浴びて寝るという生活をしていました。でも、30歳になったときに、この生活は40代ではできないなと思ったんですよね。二十歳から年に一度、海外旅行をしていたので、現地で買ってきた料理本や、撮影した写真がたくさんあって、それを見ていたときに、イタリアでのジェラート屋さんが楽しかったことを思い出しました。勤務先のシェフが機械で作っていたのもあって、私にもできるかもと調べてみたら、イタリアにジェラートの留学制度があって。そして、ジェラート屋を紹介してくれるエージェントを見つけ何箇所か紹介してもらうと、フィレンツェにある店主が一人で作っているジェラート屋さんが、自分のビジョンに一番近いと感じました。そのジェラート屋は市場の裏にあって、毎朝、「舞子、行くよ」と声をかけられて師匠と市場に行くと「今日はなんのジェラートを作りたい?」と聞かれるんです。見たことのないフルーツを指して「これ」って言うと、それを何キロか買って帰って、師匠と一緒にジェラートを作る。これがすごく楽しかったんです。
帰国したらすぐジェラート屋をオープンしたかったのですが、お金もないし、店舗の立ち上げ方もわからない。どこかに就職して準備しようと思っていたところに、チャヤマクロビフーズという会社の社長とご縁がありました。会社のビジョンと考えに共感できるところや惹かれるものがあり、「私にできることはなんでもやりますが、3年で辞めます」という条件で入社しました。そして、社長の下のポジションで、立ち上げ2店舗とリモデルが2店舗、新店舗の物件探しからスタッフの管理、店長では抱えきれない悩み相談までやらせていただきました。そこで働いてたときに、今の店舗の物件との出会いがありました。2017年の8月に契約して、11月末にオープンしました。不動産屋さんに4月まで待ってくださいという訳にもいかないですし、初めから卸し先なども決まっていたので。

——ジェラートができてないのに、卸し先は決まっていたのですか?

多くのシェフは魚を焼くか、肉を焼くか、パスタをあおるのが好きで、デザートを作りたくないということに、店長をしていて気づいていたんです。そこで、お世話になったシェフに「私がスペシャルなジェラートを作るので、よかったら使ってください」と言うと、取るよと言ってもらって。「助かる、こんなのもできるの?」とリクエストをもらって、ある意味、私も成長できました。仕入れ先も、前の会社などでお世話になっていたところに「私、2、3ヶ月後に店をオープンするんです」と、先にお願いしていました。

お客さまの喜びを農家に
農家の努力をお客さまに

——添加物を使用しないのは、チャヤマクロビフーズがきっかけですか?

はい、その会社との出合いで視野がすごく広がりました。こんなに乳や卵アレルギーの子どもがいるんだ、添加物ってこんなに危険なのかと、いつも食べているものが農薬まみれだとはあまりわかってなかった。私の親も手作りの料理が多かったので、親自身も気をつけてくれていたんだろうけど、その会社に入るまでは、本当に深く考えたことはありませんでした。

最近は流行りの言葉に翻弄されている人も多い気がします。例えば「グルテンフリーですか?」とか訊かれる。「卵入ってますか?」ならわかるんですが、アイスは基本的に小麦は使わない。「このミルクのジェラートはデイリーフリー(乳製品不使用)ですか?」なんていう質問もあって、「牛乳使ってます」と答えても怪訝な顔をされたりする。結局、その言葉を理解していない人が多いんです。その無知を私が伝えない限り、苦しむのは農家さんです。農家さんは直接お客さまに伝えられないから。私のような加工する人や、飲食店の人が伝えていくか、その人たちが自ら勉強するしかない。

それに全部オーガニック、ケミカルなものは一切入れないという生活は不可能だし、むしろ不健康ではないかと思います。暮らしのなかでNOを増やしたくないんです。また、ただ肉や魚を食べないのではなくヴィーガンという生き方の人がいること。添加物が入っているものや、精製されたものがあるということ。それを知って食べるのと、知らないで食べるのとは違うと思うんです。たとえば、100円高い有機のほうれん草を買うか、それとも、きれいに揃っているほうれん草を買うか。そのときの財布事情もあるので有機がいいとわかっていても買えないこともある。経済的に選択できないこともあるけれど、選択肢があることは知ってもらいたいです。

自分で店を出すときに考えたのは、生きていくためのお金をいただくツールが「ジェラート」。それを使って、お客様になにを伝えたいのか。そこで、3つの柱を大切にしました。まず、手が届きやすい単価であること。イタリアで小さな子が店に来てジェラートを食べるのと同じように日常にしたい。2つ目は、当時、生まれたばかりの姪に自信を持って食べさせられるものであること。添加物を入れたら可愛い姪に食べてとは言えない。それは、お客さまも同じです。3つ目は、農家さんがどうやって農作物を作っているのかを伝えること。ジェラートってごまかしが効かないんです。肉や魚が少し傷んでも、火を入れて美味しいソースをかけたらごまかせる。でも、傷んだフルーツを使ったジェラートは不味い。傷んだ牛乳はお腹を壊す。うちのジェラートは、おいしいとよく言われますが、自分では特にすごいとは思わない。いいものを使えばおいしくなる。だから、おいしいんです。私は、架け橋みたいなもの。私はレモンを育てているわけじゃなく、ただ絞って機械に入れるだけ。だから、なにもすごくないと常に思っています。

私は、なにかを学ぶなら本場で学びたい。イタリアにジェラートを勉強しに行ったのもそうなんですが、その商品が生まれた現地で、本物を知りたいんです。今も、イタリアの人に敵うわけないと思っていますし、イタリアのリミニでのコンテストに日本人の私が入賞できるなんて思っていません。賞を取ることよりも、ブラッシュアップされていくのがうれしいです。私の師匠がどんどん研究を重ねる人で、8年ぶりに再会しましたが、新調した機械でどう作るのか、うれしそうに話したりするのを見て楽しかったです。

——お仕事をされるなかで喜びを感じるのは、どんなときですか?

やはりお客さまですね。老若男女だれもが喜べるジェラートっていいなと思うんです。珈琲もお酒も好き嫌いがありますよね。いろんなジャンルを考えたときに、アイス屋さんに目をつけたのもあります。でも、実際いろいろなお客さまがいて、「卵アレルギーでケーキが食べられないけど、ここのアイスなら食べられるから買いにきた」とか言われるとうれしいです。忘れられないのは、府中からわざわざお越しくださっていたお客さま。ジェラートを持って行く先が毎回病院なんです。「大切な人が、ほぼ末期なので固形物が食べられないけどアイスだけは食べられる。ここのジェラートは体にいいものだから」と。その人が亡くなる前に最後に食べたのがうちのジェラートだと言われたときに、だれかの人生の最後に食べるものを作るって大きなことだなと感慨深くて。自分の祖父母にも食べさせたかったなと思いました。数百円の商売なのに、飲食店での数万円の商売では味わえなかった感動もあります。これまで周りの人や親に支えてもらってきたけれど、今後は、私も、ジェラート屋を始めたい人の支援ができる存在になれたらと思います。

それと、農家さんのこと。天候という自然と向き合いながら大変な労力を使って作ってくださる作物なのに、一般消費者はスーパーに並ぶ野菜を当たり前のように無感情に買っていく。最初に働いた会社での大きな貸切の仕事で、私は準備もセッティングもして、当日は、両耳にインカムをつけて、右耳は1階の情報、左耳は2階の情報が入るようにして、行ったり来たりしてオペレーションをしていました。でも、お客さまが感謝の気持ちを伝えるのは、いつも現場のわたしたちではなく、上司でした。それが、今の状況と似ている気がして。農家さんが身を粉にして作っても、結局、おいしいって言われるのは私で、その声は農家さんに届かない。それを私が伝えることによって農家さんのモチベーションも上がるのかなと。最近は、お客さまだけじゃなく、生産者さんにも喜んでもらえたときに大きな喜びを感じます。

- 特集 - 2023年8月発刊Vol.191

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