昨年、このコラムで何度か取り上げてきた判決があります。それは、令和6年7月3日に最高裁判所の大法廷で言い渡された判決です。
この判決は、旧優生保護法が憲法違反であると判断するとともに、旧優生保護法による被害者の方たちによる国家賠償請求を認容した歴史的な判決です。
これまでのコラムでは、この判決の内容を紹介したり、この判決後に成立した法律を紹介したりしてきました。今回は、この判決後、旧優生保護法に関する問題に関して私が考えてきたことについて、少し論じてみたいと思います。
傷つく人権
私たち法律家が学ぶ憲法の教科書では、私たちの享有する人権に関して、『人権は時として互いに衝突するものであり、これを調整する原理が「公共の福祉」である』などと説明されています。
こうした論述は、確かに、人権と公共の福祉の関係を的確に説明しているのかもしれません。
もっとも、ここで採用されている「衝突」という表現は、人権に、あたかも他者を互いに傷つけ合う武器のような印象を与えてしまっているように感じられ、ここに私は違和感を覚えます。
確かに、私たちが旧優生保護法の被害者の方とともに公権力と闘う局面では、人権を武器のように用いることが不可欠であったでしょう。
しかし、そもそも、被害者の方たちの人権が十分に尊重されており、旧優生保護法被害が生じなかったのであれば、今回のように、人権を武器のように用いる必要は生じなかったはずです。
このように考えると、私たちにとって必要なのは、人権の有する武器としての側面ではなく、人権の有する繊細さや傷つきやすさといった側面を、正しく意識することではないかと思えます。
そして、法律家は、こうした人権の繊細さや傷つきやすさを理論化し、社会に向けて発信する必要があるようにも思えます。
この点について、私はかつて、このコラムとは別のところで、人権の「触れ合い」という概念の導入を提案したことがありますが、いまだ私論の段階であるため、今回のコラムでは深入りは避けたいと思います。
闘うことと癒すこと
いずれにせよ、人権が傷つきやすく、繊細なものであることを踏まえると、私たち法律家の実践には、人権を武器にして闘うという側面だけでなく、人権の傷を癒すという側面があると言えるように思えます。すなわち、私たち法律家の実践には、傷つけられた人たちや、その人権に対するケアとしての性質があるように思えるのです。
社会のケア
また、人権の傷は、その人権を享有する方の傷であると同時に、この社会そのものの傷と言える場合もあるでしょう。
例えば、旧優生保護法被害によって傷つけられたのは、まずなにより直接の被害を受けた方や、そのご家族ではありますが、その背後に優生思想がある以上、直接の被害を受けていない方も含め、障害のある方全員が傷つけられているに違いありません。
さらに言えば、こうした障害のある方が傷つけられているということは、本来尊重されるべき方たちが尊重されないという誤った社会を招来しているという意味で、私たちの社会そのものが傷つけられていると言うこともできるでしょう。
このように考えると、私たち法律家の実践というのは、社会をケアする営みでもあると言えるでしょう。
※優生保護法は、1948年から1996年まで日本に存在した法律。この法律には、優生思想に基づき、不良な子孫の出生を防止するために、障害のある方などに対して強制的に不妊手術を受けさせることなどが規定されていた