弊社、プレマ株式会社は本年2月11日、27回目の創立の日を迎えます。インターネット通販がまだあまり知られていないときからウェブ上に店を構え、この27年のあいだに、数えきれないほど多くのお客様とご縁を結ばせていただきました。この場をお借りしまして、このご縁に心から感謝申し上げます。私は世界平和とともに、弊社とご縁がある皆さまが幸せで健やかであることを常に祈っていますし、それは私が死ぬまで続きます。ご迷惑でなければ、ぜひ末永く私たちとの関係を続けていただければとてもうれしいです。
多くの会社は拡大することを目的の柱に据えるのが常識ですが、弊社はあえて拡大を意図せず、中身の充実を目指そうという方向性を明確にしてから10年以上の時間が過ぎました。この大きな方針転換のきっかけとなったのが、2011年3月11日に起きた東日本大震災でした。津波の被害はもとより、未だまったく解決していない福島における原発事故は、私たちがいかにあるべきかということを根本から問いかけることになったのです。私は社長でありながら、震災発生からの数年間は会社の経営は脇に置き、支援にばかりフォーカスしてしまい、さらに物流委託先の機能不全も重なって、会社は大きく傾き、存続すら難しいほどの経営危機に見舞われました。そこからなんとか持ち直そうとする過程で、現在も続いているジェラート作りや飲食事業にも仕事の幅を広げることになり、その結果として、インターネット通販を主軸としてきた会社でありながらも、お客様と直接お会いする機会が一気に増え、社内のムードも私の心境も大きく変化しました。
数字ばかりを追いかける会社は、確かに売上などの成長だけはするのかもしれませんが、中身がペラペラですので、何年経っても同じような問題を引き起こしているように見えます。そのなかで働く人も、数字でしか評価されないことに慣れてしまい、人間としてどうあるべきかといった最も大切なことは脇に置かれてしまいます。その結果、打算と妥協、諦めが積み重なり、本音と建前が常に大きく乖離していきます。このようにならず、どうすれば持続可能であり続けられるのか。その問いに試行錯誤してきたのが、私たちの27年間だったように思います。
あの日から15年
このことをもう一度整理して考えるためには、やはり東日本大震災を思い起こす必要がありそうです。あのとてつもない大災害から、今年は15年目の節目にあたります。今年のこの日は福島にいて、祈りを捧げるつもりです。
弊社では原発事故以降、自社ブランドを冠した品々について、産地を問わず放射線量測定を今も続けています。多くの会社は測定をやめてしまうか、特定の産地の品だけを検査するという、結果として偏りを生む対応にとどまっています。私たちは、産地に先入観を持たず、あらゆる検体を検査することで「産地より数字」という姿勢を貫くことが重要だと考えています。このテーマについては、自然食を会社の中心に据えてきた企業として震災後の本稿や各種の記事でもくり返し私たちの立場を述べてきました。態度を表明するたびに「商売人は政治に意見するな、見損なった」などとたびたび非難を受けてきましたが、私はこのテーマは政治のテーマではなく、人としてのあり方そのものの問題だと考えていますから、震災から15年目の節目に、今一度明確にしておきたいと思います。
15年前、あれほど重大な人為的事故が起きたにもかかわらず、直近の世論調査では原発を容認すると答えた人が、容認できないと答えた人を逆転し、多数派になったと報じられています。さらに直近の参議院議員選挙では、原発推進派の政党に投票した人が全投票数の7割に達したとの報告もあります。その一方で、日本では地震がさらに頻発(日本の陸地面積は世界の0・3%、しかし地震の数は20%)し、アジアの軍事的リスクも高まって多くのミサイルの矛先が日本の原発に向いています。使用済み核燃料の最終処分地は未だ決まらず、「トイレのない家」といわれる根本的矛盾はなに一つ解消されていません。廃炉作業の要である燃料デブリの取り出しについても、いまだ明確な見通しは立っていないのが現状です。今年に入ってからも、中部電力が浜岡原発を巡るデータを虚偽の内容で国に提出していたことが明らかになりました。安全を証明するために嘘をつかなければならないということは、すなわち安全ではないことを事業者自らが示しているのです。
電気代が安くなるという試算が原発容認増加の理由として語られていますが、その数字には、終わりが見えない福島第一原発の処理費や補償費用は含まれていません。そのツケは、結局未来の子どもたちが払うことになります。見せかけの数字に踊らされ、原発で国力が回復すると考えるのは、とても滑稽に見えます。自然食屋の経営者として私がいえることは、「大切な国土や人を守ろう」「子どもたちにツケを残さないようにしよう」「見せかけの数字に振り回されないようにしよう」という、この三つの原則です。国を愛するといいながら、ウランは海外依存で、未来永劫神々と先人が守ってきた国土を汚染するリスクを抱えたエネルギーに国の繁栄を託すことには、根源的な矛盾があります。私はすでに少数派になってしまいましたが、この国の歴史と文化、和の精神を愛しているからこそ、見て見ぬふりはできません。福島の多大な犠牲は、もっと活かされるべきなのです。
