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中川信男の多事争論

「多事争論」とは……福沢諭吉の言葉。 多数に飲み込まれない少数意見の存在が、 自由に生きるための唯一の道であることを示す

プレマ株式会社 代表取締役
ジェラティエーレ

中川信男 (なかがわ のぶお)

京都市生まれ。
文書で確認できる限り400年以上続く家系の長男。
20代は山や武道、インドや東南アジア諸国で修行。
3人の介護、5人の子育てを通じ東西の自然療法に親しむも、最新科学と医学の進化も否定せず、太古の叡智と近現代の知見、技術革新のバランスの取れた融合を目指す。1999年プレマ事務所設立、現プレマ株式会社代表取締役。保守的に見えて新しいもの好きな「ずぶずぶの京都人」。

それでもなお 福島へのラブレター

投稿日:

2026年3月11日。東日本大震災の発生から15年目のその日、私は福島県相馬市にいました。ここは仙台から南に広がる平野部にあり、海と接していることで、津波で多くの人々の命が奪われてしまった場所です。相馬からさらに南方には、太平洋沿いに南相馬市、浪江町、双葉町とつながり、過酷事故を起こした福島第一原子力発電所へと至ります。

2011年の3月末、はじめてバスを運転して福島県にやって来た私は、原発事故前の福島については何も知りませんでした。当時は、放射線に関する最低限の知識があり、大型車が運転できる自分が行かないと東北の被災地で福島だけが取り残されてしまう、という思いだけに突き動かされて、ほとんど知り合いのいない福島に行くことだけを決めて出発しました。その段階で福島県内の知り合いは、会津若松市にあるオリーブオイルで有名なアサクラさんと、事故の1年ほど前からパンの販売を始めていた福島市の銀嶺食品さんだけでした。お客様に呼びかけて京都に送っていただいた子ども服や、京都で買って詰めるだけの食料や雑貨品をバスに積み込み、まったく走ったこともない道を、損傷した東北道を避けて内陸ルートで10時間ほどかけて会津若松に到着しました。

そこは原発から非常に遠い場所でしたから、原発付近の皆さんが緊急避難されているというネットの情報を頼りに避難所を訪問しました。しかしそこはすでに物資があふれかえり、もう置く場所がないという状況で、私たちが行く必要もない場所になっていました。次に向かった先は、銀嶺食品さんがある福島市中心部です。外から支援に来ている人は非常に少なくなっていましたが、それでも大きな都市であることもあって、ある程度物資は手に入り、気丈な皆さんはなんとかやりくりできている状態でした。

訪問した銀嶺食品の大橋社長(当時)に相談すると、「ここからもっと沿岸部に向かうと、飯舘村という場所がある。そこにある神社に知り合いがいるから、そこを訪ねたら必要な支援がはっきりするよ」と言われ、社長に見送られて飯舘村に向かいました。

人間の鏡

飯舘村に着く前あたりから、放射線量計が異常なアラームを発するようになっていました。しかしそこには、裸足で田んぼに入り田植えの準備をする人たちや、外で農作業をする人たちが散見されました。それがなにを意味するのか、私には理解できましたので、すぐに福島市内に戻って、長靴と手袋、レインコートを店にあるだけ買って、詰められるだけ積んで神社に届け、さらに沿岸部を目指しました。

放射線量計は静かになったのに、避難所には、寒空の下なのに「靴を家に置いたままで津波から逃げたので、サンダルしかないんだよ」「あのとき以来、野菜をまったく食べていない」と、より内陸で見た状態とはまったく違う現実がありました。そして平野のあちこちに、何キロも向こうから流れてきたのであろう車やがれきが散乱していました。外からの支援者はごくまれで、これほどまでに大変な状況なのに、そこで会う人たちは私たちに「これを食べて、あれを食べて」と、なけなしの食べ物を勧めてくださり、「みんなが来てくれないこんなところまで来てくれて本当にありがとう」と言われて、私は自分の無力さに心底腹が立ちました。

焼け石に水のようなことしかできていないのに、こんなにも歓迎してもらえて、喜んでいただけて、自分のつらさや逆境を脇において「ありがとう」と言える人たちの、その神々しさに圧倒されました。

あのときから15年。今回も、そしてこの15年間も、何度行っても、いつ行っても同じように私に接してくださった、神の化身である皆さまが今も住んでいる福島は、私が地球上で最も好きな場所であり、愛している場所です。それは誰に何を言われようと変わることがなく、福島が悪く言われているときには、私は福島の皆さんと同じように心を痛め、悲しみ、福島が応援されているときには、私の胸は躍ります。

そして、あれから原発をめぐる状況は何も変わっていないのに、もうすでに終わったことのように論じる人たちの記事を見るにつけ、どうして人としての良心を捨ててまで、お金のことを大事にしようとするのか、心の底から混乱しています。そのことは、過去の本誌で何度も書いてきたことで、そのたびに非難にさらされますが、それでもなお、私は福島が大好きで、だからこそ、私が何を失うとしても黙っていることができないのです。

子どもたちへ

あのとき、とても心配したのが、過酷事故を幼少期に経験した子どもたちの行く末です。事故と、その被ばくを原因とする疾患はもちろんですが、ありとあらゆる風評によって差別的な扱いに直面し、心を痛めることが起こりうると考えたからです。15年経って、そのとき5歳だった子は、もう大人になっています。私はその若者たちが直面する現実に、そばに行って慰めることも、励ますこともできません。

だから、ここで言います。私は、福島が大好きです。たとえ誰かがあなたのことを、そしてあなたのふるさとのことを悪く言っても、気にしないでください。私は無力ですが、多少、できることがあります。あなたの人生が素晴らしいものであるようにと祈ることができます。そして、あなたと、あなたにつながる人たちは、本当に素晴らしい人たちです、とお伝えすることです。

もし、何かのきっかけで私がこのようなことを告白していると知り、あなたのためにできることがありそうなら、遠慮なく私に連絡してください。

いざというときにも備える

2011年当時、何度も福島とその避難所にお邪魔するなかで、避難所暮らしで歯のケアが充分にできず歯の健康を害し始めると、虫歯や歯周病はもちろん、誤嚥性肺炎の原因にまで繋がることを痛感しました。震災関連死の原因の一位は肺炎であり、命に直結する「歯の健康」にまっすぐ向かい合って開発したのが与那国島サンゴの力と、天然物でありながら強力な殺菌力を備えるGSEを最適な独自レシピで配合した本品です。

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それでもなお 福島へのラブレター

- 中川信男の多事争論 - 2026年4月発刊 vol.223 -, , , , ,

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