「社会をよりよくしたい」。そんな思いから環境問題に取り組み、やがてマクロビオティックと出合った浦美樹子さん。17年前に働く女性のためにと始めたお弁当は、農家さんと都会で働く人たちをつなぎながら、いまや冷凍弁当やおせちへ。浦さんが目指す「元気になれるごはん」とは?

「愛情をこめて作ったものは、よりおいしくなる」と浦さん。一緒に働くスタッフさんたちもみんなで、楽しい気持ちで作るように心がけている
株式会社オーガニック・キッチン
代表取締役
浦 美樹子(うら みきこ)
東京生まれ。20 代から環境問題や政治に関する市民活動にかかわる。2007 年、マクロビオティック料理家・西邨マユミさんとの出会いをきっかけに学びを深め、「食で社会を変える」との想いから、2009 年に株式会社オーガニック・キッチンを設立。有機農家の野菜を使った弁当の製造販売をおこなう。2022 年には冷凍弁当、2024 年にはおせちを開始。現在は食育にも活動を広げ、全国の人に「元気になれるごはん」を届けている。
▶︎公式サイト https://www.heart-kochi.jp
社会を変える鍵は
「胃袋」にあった
——浦さんが37歳で「オーガニック・キッチン」を起業するまでは、どんなことをされていたのでしょうか?
東京で生まれ育ったので、大学は地方に憧れて青森へ行きました。とはいえ、大学では遊んでばかり。卒業後は関東に戻り、ゴルフ場に就職しました。農薬をたくさん使って、グリーンをきれいに保つのが大事な仕事。自然食とは正反対の業界ですよね。その会社も1年で辞めて、特にやりたいこともなく、今思えばどうしようもない若者時代だったかもしれません(笑)
でも30代になるころ、友人の病気をきっかけに、「身体は食べ物でできている」ということを意識し始めました。そこから、食料が育つ環境のことを知りたくなって、ダイオキシンやゴミ問題など、環境問題について学びました。NPOの活動を手伝ったり、南アフリカで開かれたフォーラムに参加したり。最初は、「地球が大変なことになっている」という危機感から、社会のためになにかしたいと思うようになったんです。
——マクロビオティックとはどのように出合ったんですか?
当時は、マイバッグやマイ箸を持つことすら、好奇の目で見られていました。一市民の力で社会を変えていくのは難しいなと感じる場面も多くて。それなら、「政治家なら変えられるはずだ」と、今度は政治に興味が移ったんです。「まずは政治や社会の現状を知ろう」「投票に行こう」と伝える活動を始めました。そのときの仲間から、「マクロビオティック料理家の西邨マユミさんの講演を手伝って」と声をかけられたのが、きっかけですね。
——西邨マユミさんは、マドンナのプライベートシェフも務めた方ですよね。
はい、でも最初はマクロビオティックにまったく興味がなかったんです。「肉も魚も食べないなんて無理」「宗教みたいなのは苦手」と思っていたくらい(笑)でも翌日、マユミさんと食事をする会に誘われて。当時の私には高価でしたが、「マドンナが食べている食事を食べられるのは、一生に一回だろう」と思って参加しました。そこでいただいたマクロビオティックの料理が、本当においしかった! しかも、翌日の体調が明らかに違ったんです。そこで、「オーガニックの食材を使っている」と聞いて、「マクロビオティック」と「オーガニック」という二つの言葉が強く印象に残りました。
——そこから、学び始めたのですね。
クシ・マクロビオティックの教室で学びながら、週末に千葉の有機農家さんへ通い始めました。毎週行くたびにニンジンの葉っぱが少しずつ大きくなって、1か月もすると、農家さんが「抜いて食べてもいいよ」と言ってくれる。食べてみたら、根っこの部分も葉っぱの部分も、全部ちゃんとニンジンの味がするんです。畑での体験は刺激的で、「食べ物ってすごいな」と感動しました。
一方で、都内の自然食レストランも、調べられる限り訪ねました。でも、想像していた味ではなかったり、そもそもお店を探すのが大変だったり。それはチャンスでもあると感じて、2年ほど、どうしたら自分の仕事にできるかを考え続けました。もともとの「社会をよりよくしたい」という思いに対して、「食でなら、変えられるかもしれない」と、答えが見つかった気がして。2009年に「東京の胃袋を変えるんだ」と決心して、起業しました。
農家さんの想いを
お弁当にのせて
——なぜ「お弁当」という形を選んだのでしょうか?
まず、都会で働く女性たちに、毎日買える健康的なお弁当を届けたいという想いがありました。私自身、会社員時代に、働く女性は本当にがんばっていると感じていたからです。東京の満員電車はすさまじくて、出勤前に疲れてしまうほど。料理も得意ではなかったので、お昼はお弁当代わりに果物を持って行ったりしてました。毎日外食する余裕もないし、私自身がお昼ごはんに困った経験があったんですよね。
もうひとつは、有機農家さんが一生懸命育てた野菜の力を借りて、お弁当を作りたいと思ったことです。当時は、売るのに苦戦している農家さんが多くて、売れない野菜は「畑に戻す」と言って捨てられていました。それを見て、地球にも人にもいいものを作っている人たちが報われない社会って、やりきれないなと思っていて。農家さんからB品を買い取ってお弁当にしたら、お互いにいいのではと考えたんです。価格も交渉せず、農家さんの言い値で買わせていただこうと。すると、トマトが好きな農家さんは、トマトは高いのに、あまり好きじゃないニンジンは安かったりする(笑)。愛情の度合いで値段が決まったりするのが、とても人間らしいなって。私としては、野菜だけじゃなく、そこに込められた農家さんの想いも一緒に、食べる人に届けたいと思っています。
——2009年にはまだ「オーガニック」という言葉も浸透していなかったと思います。最初はどのように始めたのですか?
中野区の商店街にある居抜きを借りて、スタッフさんと二人で始めました。朝30食を作って、新宿までリヤカーで運ぶ、行商スタイルです。オフィスビルの前で売って、戻ってきて、翌日の仕込みをする。そんな一日でしたが、なにせ私は、それまで外で働いてこなかったので、1週間したらインフルエンザで寝こんじゃったんです(笑)ほとんど社会人経験もないのに、勢いで始めたようなものでしたから。でも、もし飲食業の実情を知っていたら、逆にやらなかったと思います。最初は、一人でも多くの人に食べて元気になってもらいたい、という一心でした。
お弁当は、マクロビオティックを知ってもらうきっかけに「ステップ・マクロビオティック弁当」を出しました。ただ、みんながマクロビを食べたいわけではないので、「肉のお弁当」と「魚のお弁当」も用意して、3種類とも、ごはんは玄米に。なによりも、お米がおいしいことを大切にしていました。
——その後どのように広がっていったのでしょう?
30食はすぐに売れてしまい、40食、50食と増やしていきました。行商をしていたのは5か月ほど。その後、リマ・マクロビオティックさんの新宿店でうちのお弁当を採用してくださり、自然食品店や社員食堂へと、少しずつ販売先が増えていきました。起業して2020年ごろまでの10年間は、とにかく販路を広げることに力を注ぎました。最初は朝5時ごろから作っていたのが、だんだん間に合わなくなり、夜中から作るようになって、ついには24時間稼働に。最初はあんなに「へなちょこ」だったのに……ここまで続けてこられたのは、いろいろな方が支えてくれたおかげだと思っています。
お弁当は、お客様の反応が見えにくい商品ですが、よく電話をいただきました。「これはどこのお米ですか」「あの商品はいつ出るの」と。そうした声を受けて、たとえば油を普通のものから圧搾の油に切り替えるなど、より良いものへと変えていきました。
——農家さんとは、どのように関係を築いていったのですか?
私は営業もできなかったので、困ったときは農家さんたちのつながりで紹介していただきました。「大根が欲しい」と言うと、「あそこの誰々が作っているよ」と教えてもらったり。お米は当初から山形の農家さんにお願いしているのですが、最初は赤字だったので、おじさんが「お金はあとでいいよ」と応援してくださってたんです。でも本当に何年も払えなくて。あるとき「息子に、あそこに米を出すなって怒られちゃってさ」って(笑)
「社会を変える」なんて言ってるわりに、現実はほど遠かったです。でも、農家さんが快く付き合ってくださったから、乗り切ることができた。だから今も、なるべく直接会いに行くようにしています。「来週行きます」と言うと、「え、本当に来るの?」って驚かれますけど。やっぱり、農家さんの想いをしっかり受け取り、お弁当を通して都会の人たちに届けたい。そんなつなぎ役でありたいと思っています。

頻繁に通う有機農家さんと。間引きした
「赤ちゃん人参」を弁当や給食で使うことも
せわしない日々にも
豊かなひとときを
——冷凍弁当や「おせち」も好評ですが、始めたきっかけはなんですか?
2020年のコロナ禍で、それまで2000食ほど作っていたお弁当が、一気に300食まで落ち込みました。そのとき、「宅配はしていないの?」とたくさん問い合わせをいただいたのに、卸が中心だった私たちは、お断りするしかなくて。でもそこで初めて、「欲しいと思ってくださる方が、こんなにいろんな所にいるんだ」と気づいたんです。「冷凍なら全国に届けられる」と、すぐに開発を進めました。ただ、解凍方法が電子レンジしかないことがどうしても腑に落ちなくて、リリースまでに2年かかりました。そんなとき「待っています」という声をいただいて、私がどう思うかという考えを手放しました。そこから思いがけず『家庭画報』さんとお取引が始まり、「おせちもやってみない?」とお声がけいただいて。なにごとも計画的ではなく、言われるままに前に進んできました(笑)
——「時短」が重視される今、食に求められるものも変わってきていますね。
そうですね。私たちは便利さに加えて、「これなら」と納得していただけるものを目指しています。冷凍弁当も、ご自身のためだけでなく、地方のお母さんが東京で暮らす子どもに送ったり、遠方にいる親御さんに定期的に送ったりする方が多いんです。大切な人のために選んでくださっていると思うと、本当にうれしいです。
一方で、みなさん本当に忙しくて、「ながら食べ」が当たり前。15分でもいいので、食事だけに向き合う時間を持てるといいなと思います。オーガニックじゃなくても、いいんです。「これはどんな味かな」と、自分が今食べているものをゆっくり味わう。そんなひとときが、心の豊かさにつながるんじゃないでしょうか。
——浦さんご自身は、食以外で大切にしていることはありますか?
最近は瞑想や散歩をしています。ほんの少しの時間でも、自分のなかが整理されていくんです。今は、健康を保つためには、食事法だけでなく心の持ちようや環境もすごく大切だなと思っています。農家さんたちの暮らしにふれると、「豊かさってなんだろう」と考えさせられます。収穫まであと少しの作物を動物に荒らされても、雨不足で作物が育たなくても、「しょうがないね」と、次へ進んでいく。自然と共に生きる姿って、豊かだなぁと。都会にいると、つい自分の思い通りにしようとしてしまいがちですけど。
——これから実現したいことを教えてください。
これからは、子どもの食にもかかわっていきたいです。数年前から、学校給食や学童保育にお弁当を届けています。子どもの食生活の乱れが気になり始めたのと、お母さんが元気でいるために、もっと頼れる先があるといいなって。私も料理が好きではなかったし、「時短」といっても、だれもがぱぱっと料理できるわけではないと思うんです。今は、アレルギーのある子も一緒に食べられる「安心おやつ」を冷凍で届ける構想も進めています。
食の選択肢がいろいろあるなかで、帰ってくる場所のような、ほっとするごはんってありますよね。それを日本の食文化からなくさず、親子のために提供していきたい。私の師匠である西邨マユミさんが作るのは、華やかで楽しいごはんでした。私も、そんな「元気になれるごはん」をこれからも届けていきたいと思っています。


