4人の子を育てるようになって、自分はどう育ったのかを考えることが多くなりました。私の産まれ、育ちは人の目から見れば、とても恵まれたものではありませんでした。父はいませんでしたし、母はたいてい不在、さらに家族で一番学歴が高くて小学校卒業まで、家は非常に貧しく、国のお世話になっていた時期もありました。
祖母は明治生まれの人でした。幼いときから丁稚奉公で食を得て、極貧の生活を一生余儀なくされた人でしたから、とても躾には厳しい人だったのですが、祖母自身は学校には全く行っていませんでした。私が小学生になるかならないかの頃、祖母はいつも「のぶちゃんは字が書けるから偉い」といつも褒められました。どこかに連れて行かれるたびに、私は「自慢の孫」として紹介されました。結局、いろいろなことがあって私は働きながら高校までは卒業することが出来ましたが、すぐ働く必要がありましたので、大学には行くことはできませんでした。
凶悪な犯罪があとをたちません。その産まれ育ちを見ると、多くの場合が「自分が自分であること」を幼いときから否定されてきた人が目立つのです。それはいわゆる「教育ママ」のいる家庭であったり、親が子に勝手な期待を抱き、その期待が少しでも裏切られた時には言葉に出さずとも、失望の表情を浮かべていたことが想像されます。「自分は苦労したけど、子どもにはそのような苦労をさせたくない」という、表面だけ見れば美しい動機の裏には、親のコンプレックスが投影されています。犯罪に走る人はほんの少数なのですが、多くの普通の人が、心を苦しめている時代であることは間違いありません。
私自身は何かを偉そうに言える立場にはありませんが、自分が家族から得た最大の収穫は「自分のことは自分で決める」という態度でした。どんな時代になっても、フレキシブルに生きていくことが出来る自信だけはどこかにあるのです。学校教育のあり方を考える前に、子どもはただ『親からそのままで受け入れられること』を本質的に望んでいることを思い出す必要がありそうです。