ハツキ的“らくなちゅらる”な生き方

【Vol.102】ていねいに生きる

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「ていねいに生きなさいね」と、親元を離れて母からよく言われました。しかし、あまり気にもとめずに、今まで生きてきました。

わたしは、「ていねいに生きる」とは、自分、そして相手の心にそうことができ、そのために面倒くさがらずに立ち止まって考える、ちょっとの心遣いや一手間ができる生き方だと思っています。しかしここ最近、この「ていねいに生きる」ということが、わたしにとってほど遠いものになっているということに気がつきました。「忙しい」を言い訳に、何事もいかに「省くか」ということに無意識の舵を切っているのではないかと。

わたしは、要領が悪いうえに無精だということもありますが、加えて現代病ともいえる、スマホやパソコンからのあふれかえる情報に溺れ、その取捨選択ができなければ、情報に流され翻弄されます。人によってはSNS かもしれませんし、ネットサーフィンかもしれません。あるいはスマホゲームかもしれません。そういったものに、時間がどんどん浸食されていることに、恐ろしささえ感じるようになりました。

以前、弊社のスタッフが社内の全体礼で言っていたことがあります。「SNS をしていると時間があっという間に過ぎるけれども、同じ時間、本を読んだり勉強に使うと多くのことを学ぶことができる」と。与えられたものを受けとるばかりですと、物事を自己に落とし込み思考する力が失われます。

現代は情報だけではなく、食べ物を含む身の回りのものも、簡易に手に入るものがあふれています。薬品を使い、手間を省いた農作物。機械だけで、人の手間を省いた食べ物。自己の意思、主体性がなければ、あふれる情報に流されるのと同様に、手近にある安易な食品や雑貨だけで日常をうめることはたやすいことです。玉石混淆の中から必要なものをつかみ取る力は、ていねいな生き方から生まれ出るように思います。

プレマシャンティシリーズをはじめ、弊社で取り扱いをしている商品は、現代の流れに反するものばかりです。人の想いや手間がしっかりかかっているものしかありません。「ていねいに生きる」ということは、コンビニエンスなものだけでかためた日常では、決してできないことです。あらためて、母からのことば「ていねいに生きる」をかみしめなければと、思うのです。

来月より紙面リニューアルに伴いまして、このコーナーは今回が最後になります。今までありがとうございました。どうぞ皆さま、ていねいで豊かな生き方を。また、お会いしましょう。

【Vol.101】ウォーキングからうまれたこと

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昨年末、夫とぼんやりテレビをみていると、健康のためのウォーキング・ジョギングについて紹介していました。そこでは天皇皇后両陛下も朝「スロージョギング」をされており、健康にもいいしこういったことを夫婦で行うということは最高です。というようなことをいっていました。週に1度若干体を動かしているとはいえ、体力が落ちているのを感じるわたしと、普段運動という運動をしなくなっている夫ですので“来年は、お散歩がてら一緒に歩くのはどうだろう”という提案をしてみました。

そして年明け「それじゃぁ、歩こうか」と夫。外が寒いのでコートを着て外に出ると「その格好じゃ、暑すぎるよ」といわれて身軽な格好に。わたしは、一時間ほどゆっくりと歩くというイメージだったのですが、なんだかちょっと違うようでした。例年通り、滋賀県の比良山の麓でお正月を過ごしていましたので、登山口まで歩いてみることにしました。息子二人も一緒に歩き始めたのですが、夫の歩みがはやいはやい。「有酸素運動」をしないとということで、夫はどんどん先に行ってしまい、子どもは駆け足でそれについていきます。結局ひとりで歩き、追いつくどころか息がすぐに上がってしまったわたしは、見えなくなっていく夫をみて「これを夫婦でする意味があるのだろうか」と思ってしまいました。天皇皇后両陛下が仲良く話しながら歩いている映像をみていたわたしにとって、ちょっと違うウォーキングでした。

登山口まで歩いている途中、夫が「今年は武奈ヶ岳に登ってみない?」と言い出しました。夫は社会人山岳会にいたこともあり、当時は練習のためによく武奈ヶ岳には登っていたそうです。とはいっても、もう長年登山はしていないのですが……。わたしはというと、学生時代に体育の校外学習で大山に1度登ったことがあるだけでまったく登山経験はありません。それでも、大山に登ったときの思い出は、「辛かった」よりも「楽しかった」でした。登るごとに変わってゆく植物や木々、そして空気を感じるのはとても新鮮であのとき“またいつか山登りをしたいなぁ” と思ったものです。

せっかくの提案なので、比良山系の山の一つである武奈ヶ岳に登ってみようと思います。中高年で登山を始めると、遭難をしたり事故も多いようですから、しっかり備えておきたいものです。

登山について調べていると、登山のルールでは「遅い者に合わせて登る」というものがあるらしいので、夫と足並みをそろえてしっかりと登ってゆきたいです。

【Vol.100】よい年の幕開けとなりますように

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新年明けましておめでとうございます。

新しい年を迎えますと、「目標」をたててそしてそれを年の半ばには忘れてしまうということを繰り返しているように思います。今年の目標としては……。

年末にずっと会おうと約束をしていたにもかかわらずなかなか会えなかった、高校時代の友人と会ってきました。大阪に住んでいるということで、京都在住のわたしにとってはとても近いはずなのですが、「会いたいね。会いたいね」といいながら何年も過ぎてしまっていました。昨年は具体的に春先から会う約束をしていたにもかかわらず、結局実現したのは年末という状態でした。いざ友人宅へ行ってみると、拍子抜けするほど近く気軽に行き来できる距離だったことに気がつきました。

「会いたいね」といっていても、どちらかが具体的なこ とを切り出さないと次の一歩には進みませんし、その後少 なくともどちらか一方が玄関のドアを開けて一歩外にでな ければ、「会う」ということは実現しません。わたしは、な かなか人とうまくコミュニケーションをとることができず に、多くの方に失礼を今までしてきました。相手側が“ど うぞ” と扉を開いてくださっていても、自分自身が玄関か ら出ることができずにいることが、なんと多かったことで しょうか。それは、“人と会う” ということに限らず、何に おいても臆病でいろいろな理由をつけて、「扉を開ける」 ということを避けてきました。それは、子どもができてか らさらに大きくなったように思います。

年も押し迫る中、友人のところへいざ会いにいってみると、あれこれと考えるような難しいことはなく、とても簡単に楽しい時間を過ごすことができました。日々の生活の中で起こるとても些細なことでも、同じことですね。あれこれ理由をつけて「やらない」ということでは、自分が本当に求めていた状態にならないことが多くあります。

今年の目標として「目の前の扉をまず開けよう!」ということを掲げようともしましたが、結局忘れてしまうということを繰り返しそうなので、友人にまた会いに行くことにします。人生のリハビリではありませんが、そういったことを繰り返すうちに、何かまた拓けることもあるのではと思うのです。 皆さまの一年も、明日につながるよい年となりますよう祈念いたします。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。