普段、私は北海道で暮らしているのですが、6月から2ヶ月間お試しで、茨城県の里山で田舎暮らしをしています。プチ移住のアイデアが湧いてから実行まで、ジャスト2週間。里山暮らし開始からわずか1週間ですが、すでに意外な発見がありました。それは「不便というゆたかさ」「不便というぜいたく」です。
住んでいる一軒家は里山の奥地に建っており、辺りの景色はトトロの世界、はたまた日本昔ばなしの世界のようです。目に映る景色は、田んぼ、畑、雑木林。一面の緑。里山の谷間に吹く風は柔らかく爽やかで、じつに、目にも、耳にも優しく、穏やかで「ノイズ」がない場所です。
日本家屋なので、朝は小鳥やうぐいすの声はもちろんのこと、キジの「ケーーン、ケーン」という鳴き声で目が覚めます(初めて聞きビックリ)。そのキジが、軒先に姿を見せることも珍しくありません。今日は、家から30メートル先でイノシシが草むらを渡る姿を目撃し、数日前は、散歩中にホタルに出合いました。そんな場所ですから、最寄りのコンビニは車で10分。ATMはありません(これにも仰天)。
自然物の力
もちろん、不便さもありますが、人口34万人の地方都市・旭川で暮らしているときよりも、遥かに頭がすっきり、クリアなのです。気持ちも落ち着いています。到着3日目で、知人から「いつも以上に落ち着いていますね」といわれました。恐るべし、自然パワー。
一方、都市では、油断をするとすぐにノイズだらけになります。ザワザワが許可なく侵入してくるのです。飲食店、小売店、美容室、病院、広告、新商品、多様なキャッシュレス方法など、ありとあらゆる人工物が無数に溢れ、選択肢の波に飲み込まれそうになります。都市で暮らし続けると、瞑想や思考整理、ボディケアなどを定期的におこなっていたとしても、頭や心がごちゃつきやすいのです。
都市部では多くの人が「もっと、もっと」、そして「ベターなものを」という頭の声に振り回され、心の落ち着きを失っているように見えます。そのため、つねに気忙しくて、ホッとできない。そんな感覚を抱えているのではないでしょうか。養老孟司先生は、都市で暮らす人々に、「一年の9ヶ月は都市で仕事をし、3ヶ月は田舎で暮らす」現代版・参勤交代を提唱しているのですが、それもなるほどと頷けます。
考えるより、まず動く
私は、もともと田舎暮らしに対する憧れはありませんし、いまもありません。とはいえ、道産子ですから自然は好きです。ただ、完全な田舎暮らしは自分には無理だろうと思っていました。なぜなら、都市部の便利さを手放せないと考えていたからです(虫も苦手)。
しかし、何事も頭で考えているよりも、やってみると発見があるものです。頭のなかでどれだけシミュレーションしても、実際に動いてみると誤差が生じるものなので、ある程度イメージができたら、早々に行動するほうが物事は進みます。もちろん、生死に関わるような安全性が問われる重要な事柄は、慎重な検討やテストが必要ですが、それ以外の、かすり傷程度で済むことは、どんどん試してみるに限りますね。
また、自分に対する見方そのものが偏っていたり、アップデートされていなかったりすることもあります。私も、頭では不便な田舎暮らしは自分には向いていないと思っていましたが、実際にやってみると、とても馴染むことに驚きました。私たちは過去の記憶に引っぱられ、認知が歪むことがあるので、ときどき、普段の自分ならやらないような行動をしてみると、意外な発見があります。新しい自分に出会うのは楽しいものです。ぜひ、「面白そう」「やってみたい」と思ったことは、どんどんトライしてみてくださいね。