外来で子どもに注射をするとき、いつも「泣いていいよ」と声をかけます。先日も、注射を前に半泣きの男の子がいました。お母さんが困った顔で「泣かないの。お兄ちゃんでしょ」と言いましたが、僕が「泣いていいよ。怖いよね」と言うと、その子はお母さんの顔をちらっと見てから、思いきり泣き出しました。
前回、自分の気持ちに気づいてあげると楽になる、というお話をしました。気づくだけで楽になるということは、普段私たちは、気持ちを感じないように感情を無視したり、気持ちを心の奥にグッと押し込んでいるということです。そういった心の動きは幼いころから始まっていることがほとんどです。
「我慢しなさい」「(お友だちの)〇〇ちゃんはできるのに」「迷惑かけちゃダメ」。いい点を取れば褒められ、失敗したり負けたりしたときは落胆される。このような経験を通して、感情を我慢することを学んでいきます。一つひとつの言葉は子どもを思って掛けたものです。しかし、それが積み重なると、子どもの心には「そのままの自分でいてはいけない」というメッセージとなって刷り込まれます。褒め言葉さえ「うまくできなければ愛されない」と受け取ってしまうのです。
苦しくても外でがんばり、認められ、人より上にいること。それが愛される方法なのだと、私たちは思い込んできました。親を責める話ではありません。親もそうやって育てられてきました。その延長として、稼ぐことや出世を最優先する今の社会があります。いい学校を出て、いい子でいなければならないと皆が縛られてきました。
文部科学省の調査では、令和6年度の不登校の小中学生は35万人を超え、過去最多になりました。理由はさまざまですが、今の社会の価値観になじめない子どもたちがはじき出されているように思えます。学校に行けないのは弱いからではありません。「そのままではダメ」という空気に、体がついていけなくなっているのです。
教育には本来、二つの顔があります。一人ひとりが自分らしく豊かに生きるための土台を育てること。そして、社会を支える一員を育てること。教育基本法の第1条に「人格の完成」と「社会の形成者」と記載されています。多くの学校では、社会に適応することが最優先だ、とだれも疑っていないように感じます。
僕は、本当の意味で病気が治ることは、生きる力を高めることだと確信しています。人は、興味が向くことにしか本気で集中できません。好きなことができれば、生命力が活性化します。なんでも一人でこなせなくていいのです。苦手なことは助けてもらえばいい。「迷惑をかけない」より「補い合う」ことが当たり前になれば、不登校は激減するはずです。車椅子の小児科医・熊谷晋一郎さんは「自立とは依存先を増やすこと」と言っています。その土台になるのが「ありのままの自分でいていい」という感覚です。今回のワークで心を緩めてみましょう。
①胸に手を当てて、ゆっくり呼吸します。②心のなかで「なにもできなくてもいい、ありのままでここにいていいよ」と言います。③出てきた気持ちを、そのまま感じます。「そんなはずない」という声も、思いがけず出る涙も「そうだよね」と受け止めます。
最初はうそっぽく感じるかもしれません。それで普通です。繰り返すうちに、体が少しずつ、この言葉を覚えていきます。お子さんがいる方は、点数や順位と関係のないところで「あなたがいてくれてうれしい」と伝えてみてください。
あの男の子は、泣き終わるとケロっとした顔で手を振って帰っていきました。気持ちは、感じきれば流れていきます。泣いてもいい。できなくてもいい。そのままで、ここにいていい。大人もこの言葉を自分にかけてあげましょう。
