弊社で長く取り扱いがあり、ファンの多い品のひとつでもある「アレッポの石鹸」。遠くアラブの地、シリアのアレッポで作り継がれてきた石鹸です。シリアでは2011年に内戦が起き、厳しい状況が続いていましたが、そんななかでも、誇りをもって石鹸作りが続いていました。このアレッポの石鹸を輸入・販売する、株式会社アレッポの石鹸 代表取締役 太田昌興 氏に、石鹸作りやそこに関わる人びとについて伺いました。
「石鹸一本でここまで続くとは、創業メンバーも思っていなかったかもしれません」と太田氏は笑う。発送を待つアレッポの石鹸の豊かな香りが広がるなか、お話を伺った
アレッポの石鹸は、シリアのアレッポで、アデル=ファンサ氏が立ち上げたアデル・ファンサ社により作られています。アレッポ周辺は昔からオリーブや月桂樹の栽培がさかんで、そのオイルを原料に千年前から石鹸が作られていたといわれます。ファンサ家では約350年前から石鹸を作っているそうです。
弊社は25年前、3人の創業メンバーにより設立されました。3人に共通するのが、大量生産ではなく本質的に良いもの、既存の価値観では測れない世界を追求したことです。そこでアレッポの石鹸に出会います。当時、アレッポ周辺には200ほどの石鹸工場があったそうですが、そのなかでもアデル・ファンサ社の石鹸は優れていました。
アデル氏によると、石鹸作りで大事なのは、原料のオイルと、釜炊き(クッキング)、そして熟成です。原料のオリーブオイルは、食用オイルを絞った後にさらに絞り込んだもので、濃い緑色と強い香りが特徴です。これにより素材感の強い石鹸ができます。このオイルにアルカリを加え、三昼夜かけて釜炊きをします。その途中、必要な成分は残しながら、水を加えて不純物を洗います。これらの工程が品質に大きく影響します。その後、石鹸素地の流し込みとカッティングを経て、石鹸を一年以上熟成させます。適切な熟成により、石鹸表面がアメ色に変化し、余分な水分が抜け、硬く溶けにくい、マイルドな石鹸に仕上がります。
この会社に僕が入ったのは2000年です。僕は3歳ごろまで幼児性アトピーがあり、大人になっても肌が弱く、冬は必ずかゆくなるし、ひっかくとすぐに痕が残っていました。それがアレッポの石鹸を使うようになってから一切なくなり、その良さを体感しました。入社3年目にはシリアを訪れ、はじめてアラブの文化に触れました。当時のシリアは、政治的な緊張はあるものの、教育レベルが高く、街でスリやひったくりにあうこともなく、食糧も豊富で、とても平和な国でした。
ところが2011年にシリア内戦が始まり、状況が一変します。2012年には水道や電気が使えなくなり、アレッポで石鹸を作るのが難しくなりました。現在石鹸作りを指揮しているのはアデル氏の息子のタラール氏ですが、石鹸作りをなんとか続けたいと悩んだ末、2014年にシリアのラタキアに工場を移転します。その後、一応は戦闘が落ち着き始めた2019年1月に、シリアを再び訪れました。爆撃で瓦礫だらけの町で、それでも人々が生活しており、どこか異様な雰囲気でした。アレッポでは2016年に激しい爆撃があり、石鹸工場も破壊されました。実際に見に行きましたが、工場のタンクに無数の穴が空き、星空みたいだと思ったのを覚えています。
シリアを訪れ、石鹸作りに関する場所や現地の有名な場所などをタラール氏が案内してくれたのですが、以前はすごく自信家な感じのあった彼が、気高さと、慈悲深い優しさを感じさせるようになったことが印象的でした。
彼は、工場移転で機械を購入する際、絶対に盗品を買わなかったそうです。機械を見に行くと、新品と一緒に格安の中古品が並んでいて、その多くが盗品なんです。彼は、いくら安くてもそれを選ばなかった。アレッポの工場でも多くの盗難があり、彼自身、盗まれた側の気持ちもわかるんだと思います。
また現地では、レストランですごい量の料理が出されることがあるのですが、その残りをサンドイッチにしてもらったときのことも印象的でした。僕はそれを後で食べるのかなくらいに思っていたのですが、店を出て車を走らせている途中、彼が「Thank you God.」と言って突然車を停めました。道端を見ると、ボロボロの恰好で歩くのも大変そうなおじいさんがいました。タラール氏はその人に丁寧に頭を下げて、「どうかこれを食べてください」とサンドイッチを渡します。おじいさんは「ありがとう、食べさせてもらいます」と受け取り、急に近寄って、「あなたたちの旅の安全を祈らせてください」と言ったんです。内戦のなかでも、そういう気持ちが息づいているのはすごいことだと思います。
タラール氏の肩には、関わるたくさんの人たちの生活が載っています。しかし彼はそのプレッシャーをものともせず、頑張っています。僕を案内してくれたときも、携帯片手に「今、ドイツから注文が入ったよ」など嬉しそうに教えてくれました。石鹸作りがあるというのは、彼にとっても一緒に働く人にも、幸せなことなんだと思います。生活できることももちろんですが、誇りをもてるということも大切です。彼らは代々続く石鹸作りを絶対に自分たちの代で終わらせない、なにがあっても次の代に引き継ぐと、一生懸命です。内戦下だから仕方ないと思われたくないと、以前より厳しく生産を管理し、品質がむしろ向上したくらいです。
今年の1月には、アレッポの工場が修復され、今夏再稼働予定です。本格稼働にはまだ時間が要りますが、何年後かには、ラタキアの工場だけでなく、アレッポの工場で作られた石鹸も流通できるはずです。タラール氏を始め、石鹸作りに関わる人々の気持ちに応えられるよう、僕もこの事業を精一杯続けたいと思っています。