「あだ名」って不思議だなぁと思う。自分でつけるわけではないのに、年齢が変わっても、コミュニティが変わっても同じあだ名で「てらしー」と呼ばれている。自分の雰囲気を知ることはできないが、「てらしー」という響きが私を表しているのかもしれない。
数年前に、弟の結婚式で従兄弟に会ったとき、あだ名を聞いてみた。世代や男女の区別なく、「てらしー」と呼ばれているようだ。寺嶋という苗字は、下の名前がなにであろうと、「てらしー」が呼びやすいのかもしれない。しかし、私の弟はというと、「しーま」と呼ばれているそうだ。私は「しーま」と呼ばれたこともないし、呼ばれても似合わない気がした。確かに弟は「てらしー」ではなく、「しーま」っぽい雰囲気がある。
私の妻には三人の女の子の連れ子がいる。十数年前に結婚をしたときに、すでに子どもたちは、大学生、高校生、中学生だった。子どもたちに苗字をどうするかと聞いたときに、名前が変わるのは嫌だというので、妻だけ寺嶋になり、子どもたちの苗字は妻の旧姓のままとした。
この選択は本当に良かったと思っている。私には子どもがいないので、父親になったことがない。無理に父親の役割を演じようとしても、私は彼女たちの本当の父親ではないし、急になれるものでもない。父親と娘という形にはめることで、お互いストレスが溜まるだろうし、間に挟まれる妻も大変になっただろう。
父親ではない、血の繋がりもない、母親のパートナーという、人に説明しにくい関係だが、私は結構気に入っている。子どもたちと出かけると、事情を知らない人が、私を「お父さん」と呼ぶことがある。その場は否定せず話を聞き流すが、家族だけがわかる「違うんだけどな〜」という感覚があり、それが家族の繋がりを感じる瞬間でもある。
今年の5月。ついに子どもが結婚した。三女だ。それで先日、相手のご両親と顔合わせのため食事をした。テーブルには、それぞれの家族の紹介を書いた栞が置かれていた。三女が作ったものだ。妻の名前の上には、「母」と書いてあり、私の名前の上には、「てらしー」と書いてあった。家でも「てらしー」と呼ばれているが、それはあだ名ではなく、「てらしー」という存在として受け入れてもらえていて、家族のなかの私の居場所だったと気づいた。血の繋がりだけが家族ではないこと、人と生きるということを家族から学ばせてもらっている。感謝したい。
プロモーション・セクション
寺嶋 康浩(てらしま やすひろ)
2018年退社。その後も「らくなちゅらる通信」の編集や制作、電磁波測定、商品のプロモーションに関わっている。合同会社じぶんらしく代表社員として、じぶんらしく生きることに価値がある社会の実現のため活動中。
